本日は近美→資料館→コンチネンタル→創→HOKUBU→法邑の6カ所。
■北海道立近代美術館「ポーラ美術館コレクション」。旭川の「フランス近代美術をめぐる旅」ともろかぶりの展覧会である。しかし、観覧者数は圧倒的にこちらの方が多い。
ギュスターブ・クールベ「牡鹿のいる雪の風景」:茶色の鹿に木の濃い茶色、さらに葉っぱも茶色と同系色を重ねた作品。
クロード・モネ「ヴァランジュヴィルの風景」:小さな木を手前に高く描いた、面白い構図。
クロード・モネ「ジヴェルニーの積みわら」:積みわらと周囲の草に強い光が当たっている、印象派ならではの表現。
カミーユ・ピサロ「エラニーの村の入口」:煩くないくらいの、ちょうど良い細やかさ。
ポール・セザンヌ「プロヴァンスの風景」:うーむ、セザンヌらしい作品だ。
フィンセント・ヴァン・ゴッホ「ヴィゲラ運河にかかるグレーズ橋」:描かれている人物の体が透けて、運河の水が見えるなど、面白い作品。
ポール・ゴーガン「小屋の前の犬、タヒチ」:赤い藁屋根の色が非常に強い。
オディロン・ルドン「イカロス」:赤を効果的に使った、非常にカッコいいイカロス。俺たちのルドンはこれでなくては。
オディロン・ルドン「アポロンの二輪馬車」:こちらもどこか不思議な浮遊感のある、良い作品だ。
モーリス・ド・ヴラマンク「画家の父の家」:まだ若い頃か。まさにフォービスムというか、パターン化されていない気がする。
モーリス・ド・ヴラマンク「湖」:色彩が分割されているのを見て、何だかキュビスムの感じがした。
アンリ・マティス「横たわる裸婦」:マティスにしては写実的。上手い。
エドヴァルド・ムンク「犬のいる自画像」:自画像のところのどろどろとした不安感と、犬の平和さで画が2分されている。
パブロ・ピカソ「男の胸像」:昨日旭川で見た「女の半身像(フェルナンド)」と対をなすような作品。
パブロ・ピカソ「花売り」:色彩をゴッテリ盛り込んではいるが、いわゆるピカソと言えば思い浮かべるような作品。
パブロ・ピカソ「静物」:平面的な構図、どこか笠井誠一を思わせるところがある。
パブロ・ピカソ「帽子の女」:かなりの大作。最小限の手数で女性の本質を表現することに取り組んだように見える。
マルク・シャガール「ヴィテブスクの冬の夜」:人物が浮遊してはいるものの、描線はかなり硬質な線である。たまにシャガールでこういう作品がある。
さて、旭川の展覧会とどちらに軍配が上がるかと言えば、作品そのものは互角かな。となると、観覧者の少なさで楽に見ることのできた旭川に軍配を上げたい。
近美コレクションは「北海道美術紀行」「夏から秋の名品選」が開催されている。作品数は多くて、バラエティには富んでいる感じ。9月9日より後期展示となり、作品が一部入れ替わるらしい。
岡部昌生「YUBARI MATRIX 1992-1995より」。
↓
米坂ヒデノリ「海の詩」。
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■札幌市資料館SIAFプロジェクトルーム「Air Scapesヤマガミユキヒロ」。絵画作品にビデオ映像を投影し、新たな世界を見せる展覧会。一軒の価値あり。
「Noises,Crowds,and Silent Airs」:京都の四条大橋を描いた作品。以下の2点は同じ作品なのだが、投影像の違いにより、全く違った風景が見える。
■ギャラリー創「下沢敏也陶展”風化から再生へII”」。奥の方にあった大きな作品は、地中から溶岩が吹き上がってきて、そのまま固化したような力を感じた。
■HOKUBU記念絵画館「日常からちょっと」。
福井良之助「青嵐」:和装の日本髪の女性を後ろから描いた作品。帯の蝶、周りの花が幻想的。
五百住乙人「別れ」:馬に乗った二人の間にはもうかわす言葉もない。映画のラストシーンのような、雰囲気のある作品。
■茶廊法邑「末永正子×千代明×坂東宏哉 三人展 Three persons Exhibition 2016 -意識の形-」。これは見るべき展覧会である。
千代明「結晶」:どう説明しても言葉では伝わりにくい作品。レーザー光線で作成したホログラムのように見える連作群(「結晶」はそのうちの一点)だが、実はきわめて平面的な作品なのだそうだ。表面をグラインダーで削ることにより、立体的に見える工夫があるそう。何となく「ヤプール登場!」と言いたくなるような感じがする。
末永正子「白景」:雪景色のような、はたまた全く違うが、流れる音楽を表現したような作品。
坂東宏哉「巨星」:まさしくベテルギウスに対面する思い。
■北海道立近代美術館「ポーラ美術館コレクション」。旭川の「フランス近代美術をめぐる旅」ともろかぶりの展覧会である。しかし、観覧者数は圧倒的にこちらの方が多い。
ギュスターブ・クールベ「牡鹿のいる雪の風景」:茶色の鹿に木の濃い茶色、さらに葉っぱも茶色と同系色を重ねた作品。
クロード・モネ「ヴァランジュヴィルの風景」:小さな木を手前に高く描いた、面白い構図。
クロード・モネ「ジヴェルニーの積みわら」:積みわらと周囲の草に強い光が当たっている、印象派ならではの表現。
カミーユ・ピサロ「エラニーの村の入口」:煩くないくらいの、ちょうど良い細やかさ。
ポール・セザンヌ「プロヴァンスの風景」:うーむ、セザンヌらしい作品だ。
フィンセント・ヴァン・ゴッホ「ヴィゲラ運河にかかるグレーズ橋」:描かれている人物の体が透けて、運河の水が見えるなど、面白い作品。
ポール・ゴーガン「小屋の前の犬、タヒチ」:赤い藁屋根の色が非常に強い。
オディロン・ルドン「イカロス」:赤を効果的に使った、非常にカッコいいイカロス。俺たちのルドンはこれでなくては。
オディロン・ルドン「アポロンの二輪馬車」:こちらもどこか不思議な浮遊感のある、良い作品だ。
モーリス・ド・ヴラマンク「画家の父の家」:まだ若い頃か。まさにフォービスムというか、パターン化されていない気がする。
モーリス・ド・ヴラマンク「湖」:色彩が分割されているのを見て、何だかキュビスムの感じがした。
アンリ・マティス「横たわる裸婦」:マティスにしては写実的。上手い。
エドヴァルド・ムンク「犬のいる自画像」:自画像のところのどろどろとした不安感と、犬の平和さで画が2分されている。
パブロ・ピカソ「男の胸像」:昨日旭川で見た「女の半身像(フェルナンド)」と対をなすような作品。
パブロ・ピカソ「花売り」:色彩をゴッテリ盛り込んではいるが、いわゆるピカソと言えば思い浮かべるような作品。
パブロ・ピカソ「静物」:平面的な構図、どこか笠井誠一を思わせるところがある。
パブロ・ピカソ「帽子の女」:かなりの大作。最小限の手数で女性の本質を表現することに取り組んだように見える。
マルク・シャガール「ヴィテブスクの冬の夜」:人物が浮遊してはいるものの、描線はかなり硬質な線である。たまにシャガールでこういう作品がある。
さて、旭川の展覧会とどちらに軍配が上がるかと言えば、作品そのものは互角かな。となると、観覧者の少なさで楽に見ることのできた旭川に軍配を上げたい。
近美コレクションは「北海道美術紀行」「夏から秋の名品選」が開催されている。作品数は多くて、バラエティには富んでいる感じ。9月9日より後期展示となり、作品が一部入れ替わるらしい。
岡部昌生「YUBARI MATRIX 1992-1995より」。
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米坂ヒデノリ「海の詩」。
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■札幌市資料館SIAFプロジェクトルーム「Air Scapesヤマガミユキヒロ」。絵画作品にビデオ映像を投影し、新たな世界を見せる展覧会。一軒の価値あり。
「Noises,Crowds,and Silent Airs」:京都の四条大橋を描いた作品。以下の2点は同じ作品なのだが、投影像の違いにより、全く違った風景が見える。
■ギャラリー創「下沢敏也陶展”風化から再生へII”」。奥の方にあった大きな作品は、地中から溶岩が吹き上がってきて、そのまま固化したような力を感じた。
■HOKUBU記念絵画館「日常からちょっと」。
福井良之助「青嵐」:和装の日本髪の女性を後ろから描いた作品。帯の蝶、周りの花が幻想的。
五百住乙人「別れ」:馬に乗った二人の間にはもうかわす言葉もない。映画のラストシーンのような、雰囲気のある作品。
■茶廊法邑「末永正子×千代明×坂東宏哉 三人展 Three persons Exhibition 2016 -意識の形-」。これは見るべき展覧会である。
千代明「結晶」:どう説明しても言葉では伝わりにくい作品。レーザー光線で作成したホログラムのように見える連作群(「結晶」はそのうちの一点)だが、実はきわめて平面的な作品なのだそうだ。表面をグラインダーで削ることにより、立体的に見える工夫があるそう。何となく「ヤプール登場!」と言いたくなるような感じがする。
末永正子「白景」:雪景色のような、はたまた全く違うが、流れる音楽を表現したような作品。
坂東宏哉「巨星」:まさしくベテルギウスに対面する思い。