本日は近美→札幌市公文書館→文学館の3か所と少な目。
午前中に出発。さほど寒くない。近所の公園は冬に入る前に整備工事を開始し、一冬の間全く使われずに春を迎えた。しかし、芝生が根付いていないという理由で、かなりのエリアが今も立ち入り禁止なのである。最初っから、こういう構想で整備されたのだろうか?
■北海道立近代美術館「大原美術館展2」。正しくは「2」はローマ数字が使われているのだが、機種依存なので置き換えてみた。いつも不思議なのは、こういうある程度オフィシャルな催しには、機種依存文字を使うべきではないという話にならないのかということと、ローマ数字にちゃんと一般的な文字コードを振るべきではないかということだ。まあ、いまさら新たな文字コードを振られても、ユーザ側は相当困るのだろうが。
児島虎次郎「酒津の秋」:印象派の影響を受けているようであるが、空を描くランダムなタッチ(筆跡が一方向に向いていない)がどこか面白い。
モーリス・ド・ヴラマンク「静物」:作品名の通り、静止した画面であり、ヴラマンクには珍しい感じ。
パブロ・ピカソ「鳥籠」:落ち着いた、モニュメント的な作品。
土田麦僊「ヴェトゥイユ風景」:非常に透明感のある風景画。
中山巍「オテル・デュヴァル」:この作品の方がヴラマンク的である。
シャイム・スーティン「吊るされた鴨」:静物画でありながら、嵐の中を思わせる風景。
前田寛治「二人の労働者」:労働者の足元の三色の四角は床タイルの表現なのだろうか。立体的に盛り上がった石のように見えてしまう。
ワシリー・カンディンスキー「尖端」:色彩や作品から感じられるリズム感、ユーモア。カンディンスキーの名品だと思う。
バレンディン・デ・スビアウレ「聖アンヌの祭日」:宗教的な伝統を感じる作品。こういうのを見る素養がないと、キリスト教の寓意に気がつかないと思う。
フランツ・シュトック「人類の復活」:何か聖なる光を描こうとした作品。
バーナード・リーチ「楽焼走兎図大皿」:表面にドンと自分のサインを入れるあたりが、リーチっぽい。
芹沢銈介「伊曽保物語屏風」:何かと思ったら、イソップ物語を屏風化したもの。「狐と鶴のご馳走」なんて、久々に思い出した。
いずれにせよ、安定した近代絵画(一部、陶芸)を見ることができる展覧会であることに間違いない。
■札幌市公文書館。ちょっと知りたいことがあって行ったのだが、常設展示が意外と面白かった。
右の写真は札幌が区制に移行するときの資料で、最初はなんと5区(中区…中央区じゃない、北区、西区、東区、南区)から検討がスタートしていたようなのだ。その後、7区構想となるが、その時の区割りが中区、琴似区、屯田区、元町区、白石区、豊平区、真駒内区というもの。他にも新琴似地区が「西区編入はイヤ」だとか、興味深い新聞記事が並んでいた。
また、札幌市と近隣町村が合併した時もいろいろドラマがあったようで、豊平町は合併を2度否決しており、初回は賛否を勘違いした町長がぬか喜びしたものの、否決と分かるとその場で辞表を出して男泣きしたといったことが書いてある。
札幌市民であれば、子供のころに自分の街の歴史で勉強するのかもしれないが、小学生の頃は千歳市民であった私にとっては非常に興味深い資料が並んでいるのであった。
公文書館を出ると「豊水の庭」という小スペースがあり、加藤顕清「豊水師弟の像」が設置されている。
この後、北海道立文学館に向かうと、初めて気がついたのだが中島公園に「放送記念碑」というのがあった。昭和3年6月5日にNHKが初めて札幌で放送したことを記念する碑である。
■北海道文学館「「北海道文学館」創立50周年記念特別展 ふみくらの奥をのぞけば 文学館・珠玉の300選」。相変わらず展示目録がないので、メモしたものを適当に書いていく。
木田金次郎「自筆色紙」:泊から見た羊蹄山を描いたもの。
中谷宇吉郎「雪華之図」:いろいろな雪の結晶をちりばめた作品。
赤塚不二夫「雪祭り男なのだ」:雪祭りに赤塚キャラの雪像を作るために招かれた赤塚。その時のエッセイと雪像を描いたものが展示されている。
他にも、国松登「伊藤整『若き詩人の肖像』より」(挿絵)、川上澄生「ランプと明治女」「金髪美人とランプ」(版画)、久保守「北海道風景」(油彩)、佐藤忠良の挿絵原画、上野山清貢「(鯛)」、柳川剛一色紙などが展示されており、文学派以外の人も楽しめる展示となっていた。
地下鉄駅に戻る際、公園内を通ってみたが、ボート乗り場の横にあった待合所兼飲食場は取り壊しになっていた。
午前中に出発。さほど寒くない。近所の公園は冬に入る前に整備工事を開始し、一冬の間全く使われずに春を迎えた。しかし、芝生が根付いていないという理由で、かなりのエリアが今も立ち入り禁止なのである。最初っから、こういう構想で整備されたのだろうか?
■北海道立近代美術館「大原美術館展2」。正しくは「2」はローマ数字が使われているのだが、機種依存なので置き換えてみた。いつも不思議なのは、こういうある程度オフィシャルな催しには、機種依存文字を使うべきではないという話にならないのかということと、ローマ数字にちゃんと一般的な文字コードを振るべきではないかということだ。まあ、いまさら新たな文字コードを振られても、ユーザ側は相当困るのだろうが。
児島虎次郎「酒津の秋」:印象派の影響を受けているようであるが、空を描くランダムなタッチ(筆跡が一方向に向いていない)がどこか面白い。
モーリス・ド・ヴラマンク「静物」:作品名の通り、静止した画面であり、ヴラマンクには珍しい感じ。
パブロ・ピカソ「鳥籠」:落ち着いた、モニュメント的な作品。
土田麦僊「ヴェトゥイユ風景」:非常に透明感のある風景画。
中山巍「オテル・デュヴァル」:この作品の方がヴラマンク的である。
シャイム・スーティン「吊るされた鴨」:静物画でありながら、嵐の中を思わせる風景。
前田寛治「二人の労働者」:労働者の足元の三色の四角は床タイルの表現なのだろうか。立体的に盛り上がった石のように見えてしまう。
ワシリー・カンディンスキー「尖端」:色彩や作品から感じられるリズム感、ユーモア。カンディンスキーの名品だと思う。
バレンディン・デ・スビアウレ「聖アンヌの祭日」:宗教的な伝統を感じる作品。こういうのを見る素養がないと、キリスト教の寓意に気がつかないと思う。
フランツ・シュトック「人類の復活」:何か聖なる光を描こうとした作品。
バーナード・リーチ「楽焼走兎図大皿」:表面にドンと自分のサインを入れるあたりが、リーチっぽい。
芹沢銈介「伊曽保物語屏風」:何かと思ったら、イソップ物語を屏風化したもの。「狐と鶴のご馳走」なんて、久々に思い出した。
いずれにせよ、安定した近代絵画(一部、陶芸)を見ることができる展覧会であることに間違いない。
■札幌市公文書館。ちょっと知りたいことがあって行ったのだが、常設展示が意外と面白かった。
右の写真は札幌が区制に移行するときの資料で、最初はなんと5区(中区…中央区じゃない、北区、西区、東区、南区)から検討がスタートしていたようなのだ。その後、7区構想となるが、その時の区割りが中区、琴似区、屯田区、元町区、白石区、豊平区、真駒内区というもの。他にも新琴似地区が「西区編入はイヤ」だとか、興味深い新聞記事が並んでいた。
また、札幌市と近隣町村が合併した時もいろいろドラマがあったようで、豊平町は合併を2度否決しており、初回は賛否を勘違いした町長がぬか喜びしたものの、否決と分かるとその場で辞表を出して男泣きしたといったことが書いてある。
札幌市民であれば、子供のころに自分の街の歴史で勉強するのかもしれないが、小学生の頃は千歳市民であった私にとっては非常に興味深い資料が並んでいるのであった。
公文書館を出ると「豊水の庭」という小スペースがあり、加藤顕清「豊水師弟の像」が設置されている。
この後、北海道立文学館に向かうと、初めて気がついたのだが中島公園に「放送記念碑」というのがあった。昭和3年6月5日にNHKが初めて札幌で放送したことを記念する碑である。
■北海道文学館「「北海道文学館」創立50周年記念特別展 ふみくらの奥をのぞけば 文学館・珠玉の300選」。相変わらず展示目録がないので、メモしたものを適当に書いていく。
木田金次郎「自筆色紙」:泊から見た羊蹄山を描いたもの。
中谷宇吉郎「雪華之図」:いろいろな雪の結晶をちりばめた作品。
赤塚不二夫「雪祭り男なのだ」:雪祭りに赤塚キャラの雪像を作るために招かれた赤塚。その時のエッセイと雪像を描いたものが展示されている。
他にも、国松登「伊藤整『若き詩人の肖像』より」(挿絵)、川上澄生「ランプと明治女」「金髪美人とランプ」(版画)、久保守「北海道風景」(油彩)、佐藤忠良の挿絵原画、上野山清貢「(鯛)」、柳川剛一色紙などが展示されており、文学派以外の人も楽しめる展示となっていた。
地下鉄駅に戻る際、公園内を通ってみたが、ボート乗り場の横にあった待合所兼飲食場は取り壊しになっていた。