ギャラリー巡りと言っても、日曜日恒例の彫刻美術館にだけ行くパターンである。彫刻美術館に登って行く坂道のY字路の所にあった建物が無くなっていた。あまり使いやすい形でもないし、この後どうなるのだろうか。
■本郷新記念札幌彫刻美術館「さっぽろ雪像彫刻展2020」。これも冬恒例の雪像彫刻展。今回もなかなか素敵なデザインのものが多かったが、明るい雪の中ではとにかく写真撮影がしづらい。雰囲気だけでも少しは伝わるのだろうか。
大泉力也「dance」。
佐々木仁美、くまがいきよし、水戸麻記子、関川冬真、丸山恭子「白い道程」:いわゆるすべり台である。
石井誠「Reverberation and Resonance」。
北海道芸術デザイン専門学校「やさしい棘」。
佐藤一明「大型犬」。
河崎ゆかり「あのねこれね」。
清水宏晃「風の遺跡」:これは素晴らしい造形力だ。
北海道芸術デザイン専門学校「心の底」。
いつもの彫刻にも台座が付いている。
野村裕之「つつまれる」:よく丸っこい感じをだしたなあ。
星槎道都大学梅田彫刻ゼミ「Mouse」。
熊谷文秀「Landscape of silence」。
■本郷新記念札幌彫刻美術館「本郷新と「無辜の民」」。これほど作品をもってして語らしむべし、という言葉がふさわしい作品もないのではなかろうか。
作品の副題に「油田地帯」とか「アラブ」とついているのを見ると、「ああ、中近東は大変なんだよね」と思う人がいるかもしれないが、それだけではない。本郷が向けた視線は現在の日本にも通じるものである。これらの彫刻は様々な束縛に対する人間の尊厳をテーマにしたものだが、現在の日本だって、職業やジェンダー(いや、性差別といってもいい)、人種差別、多様性への無理解、自分だけよければいいという主張などありとあらゆる束縛が存在している。そして現政権党が積極的にそれを推進しているという、まことに無様なことが起きているのである。その時代に生きる私はこの彫刻を見て、深く胸にしみいるものがあった。彫刻は見るものに何を訴えかけるのか。必見の展覧会である。
ここにも北海道先人カード「本郷新」があった。しかし人物紹介の「社会派スカルプター」はいかがなものだろうか。
道路を下ると素敵に風化した美術館の案内看板を発見した。
■本郷新記念札幌彫刻美術館「さっぽろ雪像彫刻展2020」。これも冬恒例の雪像彫刻展。今回もなかなか素敵なデザインのものが多かったが、明るい雪の中ではとにかく写真撮影がしづらい。雰囲気だけでも少しは伝わるのだろうか。
大泉力也「dance」。
佐々木仁美、くまがいきよし、水戸麻記子、関川冬真、丸山恭子「白い道程」:いわゆるすべり台である。
石井誠「Reverberation and Resonance」。
北海道芸術デザイン専門学校「やさしい棘」。
佐藤一明「大型犬」。
河崎ゆかり「あのねこれね」。
清水宏晃「風の遺跡」:これは素晴らしい造形力だ。
北海道芸術デザイン専門学校「心の底」。
いつもの彫刻にも台座が付いている。
野村裕之「つつまれる」:よく丸っこい感じをだしたなあ。
星槎道都大学梅田彫刻ゼミ「Mouse」。
熊谷文秀「Landscape of silence」。
■本郷新記念札幌彫刻美術館「本郷新と「無辜の民」」。これほど作品をもってして語らしむべし、という言葉がふさわしい作品もないのではなかろうか。
作品の副題に「油田地帯」とか「アラブ」とついているのを見ると、「ああ、中近東は大変なんだよね」と思う人がいるかもしれないが、それだけではない。本郷が向けた視線は現在の日本にも通じるものである。これらの彫刻は様々な束縛に対する人間の尊厳をテーマにしたものだが、現在の日本だって、職業やジェンダー(いや、性差別といってもいい)、人種差別、多様性への無理解、自分だけよければいいという主張などありとあらゆる束縛が存在している。そして現政権党が積極的にそれを推進しているという、まことに無様なことが起きているのである。その時代に生きる私はこの彫刻を見て、深く胸にしみいるものがあった。彫刻は見るものに何を訴えかけるのか。必見の展覧会である。
ここにも北海道先人カード「本郷新」があった。しかし人物紹介の「社会派スカルプター」はいかがなものだろうか。
道路を下ると素敵に風化した美術館の案内看板を発見した。