本日は雪が降りだす前にということで、寒い中、彫刻美術館→宮の森美術館の2か所。
■本郷新記念札幌彫刻美術館「石と木のかたち」。
「摩周の舞」:一歩踊るために踏み出した姿だろうか。ふくよかな造形がいい。
「長恨碑」:「遥かなる母子像」の原型作品だろうか。荒削りだが、同様のモチーフである。こちらも顔はついていないのだが、木肌がむき出しの面に青いチョークで目鼻立ちが描かれている。
「牛の首」:具象彫刻ドーン! という感じ。牛にもいろいろあるのだが、これは相当巨大な農耕牛というイメージか。
「馬頭」:石で作られた丸い馬頭。ウマヅラカワハギのような可愛らしさ。
展示室の一角では「In My Room」と称して若手彫刻家5人が連続して展覧会を開催することになっている。第1回は吉成翔子、作品タイトルは「丘ではそよそよ」である。
幌加内町生まれの作者が故郷の風景をベースとして作成した彫刻である。金属を使いながら、丘や自然な道を思わせる造形は、可愛いだけではない何かがある。撮影OKだったので、1点だけ紹介写真を入れよう。
お母さんについて歩く3匹の子供たち、というところか。
■宮の森美術館「クリストとジャンヌ=クロード」。当然、展示室内で展示できるわけはないので、構想スケッチ及び完成写真等。あまり美しいとは言い難いものもあるのだが、見ているうちに「次はどんなバカをやってくれるのだろう」と楽しくなってくる。
■宮の森美術館「日本美術−前衛の戦後から多様の現在へ」。
靉嘔「ニューヨーク」:子供の描いたようなビル、アサヒビール吾妻橋ビルの上にあるオブジェのような雲、青い空。
瑛九「作品」:色の破片を画面全体に散らしたような作品。
難波田龍起「円のある構成」:いいねえ、この抽象画。
■宮の森美術館旧館グラフィック・ギャラリー「日本現代版画のパイオニアたち」。約100点のリトグラフが展示されていた。作品数が多かったのは瑛九、駒井哲郎、国吉康雄。その他、池田満寿夫、岡鹿之助、恩地孝四郎、小磯良平、長谷川潔、福沢一郎、藤田嗣治など。
菅井汲「日蝕」:赤い弁当箱のような太陽の前に、緑色の影が立ちふさがる。もちろん補色で印象を強めるためだろうが、強い光を見た時に見える、ぼんやりとした緑の幻のイメージかもしれない。
なお、このギャラリーは平日の月水木金のみ一般公開とか。今日はたまたま結婚式がなかったので見ることができたが、注意した方が良いだろう。これを見るのと見られないのでは、満足感が違うと思う。
■宮の森美術館「森村泰昌展 美術史としての私[抄]」。
「フェルメール研究(大きな物語は、小さな部屋の片隅に現れる)」:画家が振り返ると、きっとこれも森村なのだろうと思う。
「若いセルフポートレート1628」:レンブラントになりきりモード。
「喰らい合い」:元画はゴヤの「我が子を喰らうサトゥルヌス」。全裸なのですごいっす。
「美術史の娘(王女A)」:これはベラスケスの「白いドレスのマルガリータ王女」かな。無理ありすぎで、笑いそうになる。
「娘2」:マネの「すみれの花束をつけたベルト・モリゾ」がベース。こちらは意図的に目を飛びださせて、コミカルに仕上げている。
しかしパロディ的な要素が強いので、元画を知らない人が見たら、これらはどう思えるのだろう。
■本郷新記念札幌彫刻美術館「石と木のかたち」。
「摩周の舞」:一歩踊るために踏み出した姿だろうか。ふくよかな造形がいい。
「長恨碑」:「遥かなる母子像」の原型作品だろうか。荒削りだが、同様のモチーフである。こちらも顔はついていないのだが、木肌がむき出しの面に青いチョークで目鼻立ちが描かれている。
「牛の首」:具象彫刻ドーン! という感じ。牛にもいろいろあるのだが、これは相当巨大な農耕牛というイメージか。
「馬頭」:石で作られた丸い馬頭。ウマヅラカワハギのような可愛らしさ。
展示室の一角では「In My Room」と称して若手彫刻家5人が連続して展覧会を開催することになっている。第1回は吉成翔子、作品タイトルは「丘ではそよそよ」である。
幌加内町生まれの作者が故郷の風景をベースとして作成した彫刻である。金属を使いながら、丘や自然な道を思わせる造形は、可愛いだけではない何かがある。撮影OKだったので、1点だけ紹介写真を入れよう。
お母さんについて歩く3匹の子供たち、というところか。
■宮の森美術館「クリストとジャンヌ=クロード」。当然、展示室内で展示できるわけはないので、構想スケッチ及び完成写真等。あまり美しいとは言い難いものもあるのだが、見ているうちに「次はどんなバカをやってくれるのだろう」と楽しくなってくる。
■宮の森美術館「日本美術−前衛の戦後から多様の現在へ」。
靉嘔「ニューヨーク」:子供の描いたようなビル、アサヒビール吾妻橋ビルの上にあるオブジェのような雲、青い空。
瑛九「作品」:色の破片を画面全体に散らしたような作品。
難波田龍起「円のある構成」:いいねえ、この抽象画。
■宮の森美術館旧館グラフィック・ギャラリー「日本現代版画のパイオニアたち」。約100点のリトグラフが展示されていた。作品数が多かったのは瑛九、駒井哲郎、国吉康雄。その他、池田満寿夫、岡鹿之助、恩地孝四郎、小磯良平、長谷川潔、福沢一郎、藤田嗣治など。
菅井汲「日蝕」:赤い弁当箱のような太陽の前に、緑色の影が立ちふさがる。もちろん補色で印象を強めるためだろうが、強い光を見た時に見える、ぼんやりとした緑の幻のイメージかもしれない。
なお、このギャラリーは平日の月水木金のみ一般公開とか。今日はたまたま結婚式がなかったので見ることができたが、注意した方が良いだろう。これを見るのと見られないのでは、満足感が違うと思う。
■宮の森美術館「森村泰昌展 美術史としての私[抄]」。
「フェルメール研究(大きな物語は、小さな部屋の片隅に現れる)」:画家が振り返ると、きっとこれも森村なのだろうと思う。
「若いセルフポートレート1628」:レンブラントになりきりモード。
「喰らい合い」:元画はゴヤの「我が子を喰らうサトゥルヌス」。全裸なのですごいっす。
「美術史の娘(王女A)」:これはベラスケスの「白いドレスのマルガリータ王女」かな。無理ありすぎで、笑いそうになる。
「娘2」:マネの「すみれの花束をつけたベルト・モリゾ」がベース。こちらは意図的に目を飛びださせて、コミカルに仕上げている。
しかしパロディ的な要素が強いので、元画を知らない人が見たら、これらはどう思えるのだろう。