今回も1日限りの自由時間ということで、どの展覧会に行くかは迷った。しかし、古典派としてはまずこれだな。
■国立西洋美術館「クラーナハ展」。
ルカス・クラーナハ(父)「聖カタリナの殉教」:有名シーンをスペクタクル、かつ精密に描いた作品。しかし「(父)」という表記を見て、初めて子供も画家だったのかと知った次第である。
クラーナハ(父)「夫婦の肖像(シュライニッツの夫婦?)」:服が豪華であるが、堅実な人物であることが伺える。
クラーナハ(父)「神聖ローマ皇帝カール5世」:あごの出た、かなり特徴的な描き方をされている。美化していないのだろうなあ。
クラーナハ(父)「ザクセン選帝侯アウグスト」:古典的な描き方をされており、高い地位を感じさせる。かなりの老人であることは上手く分からないようにしているかもしれない。
クラーナハ(父)「ヴィーナス」:思ったより小さな作品であった。ヴィーナスの釣り目がポイント。
クラーナハ(父)「アダムとイヴ(堕罪)」:アダムは口が半開きになっており、意志が弱そうかも。
クラーナハ(父)「泉のニンフ」:横たわる裸体女性という、その後も描きつがれたパターンだが、ちょいブスに見える。
クラーナハ(父)「正義の寓意(ユスティティア)」:額が広く聡明な女性として描かれているが、現在のように目を大きく描くといった美化はされていない感じ。体の中に骨が入っている感じがしない。
レイラ・パズーキ「クラーナハ(父)≪正義の寓意≫1537年による絵画コンペティション」:「正義の寓意」を題材に、中国で100人の画家に模写させたもの。90枚(10人は描けなかった?)の作品が展示されているが、元の画よりいい女になっていたり、猿っぽくなっていたりといろいろ。
クラーナハ(父)「サムソンとデリラ」:眠るサムソンを見るデリラの目が優しくも悲しげでもある。
クラーナハ(父)「ロトとその娘たち」:娘たちの隠れた色っぽさは、いろいろしちゃうよね。
クラーナハ(父)「ヘラクレスとオンファレ」:にやけたヘラクレスと4人の女が近世の風俗画風である。一人の女は画面の外に流し目を送っており、かなり近代的美人に描かれている。
→おいおい、ヘラクレスよ。
クラーナハ(父)「洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ」:こちらはややあどけない顔に描かれたサロメ。服の凝りようがすごい。
クラーナハ(父)「ホロフェルネスの首を持つユディト」:首の切り口が若干グロいが、非の打ち所のない美女としてユディトが描かれている。
森村泰昌「Mother(Judith I)」:森村がユディトに化身した写真作品。首の切り口はハムか?
クラーナハ(父)「メランコリー」:座って木を削る女性の上には、「MELANCHOLIA」とささやくサトゥルヌスがおり、女性の前には子供が裸で踊ったり眠ったりしている。何ともシュールな作品だ。
クラーナハだが、かなり近代的な作品を描いている感じもあるし、女性の描き方にもいろいろあり、人間クラーナハというのが全体を通して伝わってきたように思う。
入館すぐだったので顔のところが開いていないが、撮影用の顔ハメパネルが置いてあった。ホロフェルネスの方の役目はあまりやりたくないが。
なお、展覧会の混雑度合いは、開館すぐに入ったらそうでもなかった。1時間後くらいの時間帯はチケット売り場にある程度人がたまっていたが、12時頃になると、それも収まっていた模様。
東京では紅葉の時期なのかなあ。今日はかなり暖かくて、コートは必要ないくらい(私はスーツを着ている)であった。
■東京国立博物館「平安の秘仏―滋賀・櫟野寺の大観音とみほとけたち」。
「十一面観音菩薩坐像」:総高5メートル超という、巨大な観音菩薩。素直に圧倒させられる感覚。文様や装身具がきちんと残っている。
「観音菩薩立像」:釣り目に細身、スタイルの良い観音菩薩である。
「十一面観音菩薩立像」:衣の流麗さに目を引かれる。
「薬師如来坐像」:こちらもかなり大きな仏像なのだが、やや人間に近いため、何とも言えない異物感を感じる。
その後は、恒例の東博常設展巡りへ。
重文「慈恵大師坐像」。
↓
浄瑠璃寺伝来、十分「十二神将立像」。
↓
ドイツの「色絵虫魚浮彫飾皿」。ちょっと使う気にはなれない。
↓
東博本館の階段と照明。
↓
国宝「寛平御時后宮歌合」。かな文字の流麗さを見よ。
↓
国宝「法華経方便品」。
↓
狩野山楽「車争図屏風」。
↓
長谷川等伯「瀟湘八景図屏風」。
↓
さらに東洋館では「上海博物館との共演」や篆刻展も開催されていた。急いで見るも、時間がない。
■国立西洋美術館「クラーナハ展」。
ルカス・クラーナハ(父)「聖カタリナの殉教」:有名シーンをスペクタクル、かつ精密に描いた作品。しかし「(父)」という表記を見て、初めて子供も画家だったのかと知った次第である。
クラーナハ(父)「夫婦の肖像(シュライニッツの夫婦?)」:服が豪華であるが、堅実な人物であることが伺える。
クラーナハ(父)「神聖ローマ皇帝カール5世」:あごの出た、かなり特徴的な描き方をされている。美化していないのだろうなあ。
クラーナハ(父)「ザクセン選帝侯アウグスト」:古典的な描き方をされており、高い地位を感じさせる。かなりの老人であることは上手く分からないようにしているかもしれない。
クラーナハ(父)「ヴィーナス」:思ったより小さな作品であった。ヴィーナスの釣り目がポイント。
クラーナハ(父)「アダムとイヴ(堕罪)」:アダムは口が半開きになっており、意志が弱そうかも。
クラーナハ(父)「泉のニンフ」:横たわる裸体女性という、その後も描きつがれたパターンだが、ちょいブスに見える。
クラーナハ(父)「正義の寓意(ユスティティア)」:額が広く聡明な女性として描かれているが、現在のように目を大きく描くといった美化はされていない感じ。体の中に骨が入っている感じがしない。
レイラ・パズーキ「クラーナハ(父)≪正義の寓意≫1537年による絵画コンペティション」:「正義の寓意」を題材に、中国で100人の画家に模写させたもの。90枚(10人は描けなかった?)の作品が展示されているが、元の画よりいい女になっていたり、猿っぽくなっていたりといろいろ。
クラーナハ(父)「サムソンとデリラ」:眠るサムソンを見るデリラの目が優しくも悲しげでもある。
クラーナハ(父)「ロトとその娘たち」:娘たちの隠れた色っぽさは、いろいろしちゃうよね。
クラーナハ(父)「ヘラクレスとオンファレ」:にやけたヘラクレスと4人の女が近世の風俗画風である。一人の女は画面の外に流し目を送っており、かなり近代的美人に描かれている。
→おいおい、ヘラクレスよ。
クラーナハ(父)「洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ」:こちらはややあどけない顔に描かれたサロメ。服の凝りようがすごい。
クラーナハ(父)「ホロフェルネスの首を持つユディト」:首の切り口が若干グロいが、非の打ち所のない美女としてユディトが描かれている。
森村泰昌「Mother(Judith I)」:森村がユディトに化身した写真作品。首の切り口はハムか?
クラーナハ(父)「メランコリー」:座って木を削る女性の上には、「MELANCHOLIA」とささやくサトゥルヌスがおり、女性の前には子供が裸で踊ったり眠ったりしている。何ともシュールな作品だ。
クラーナハだが、かなり近代的な作品を描いている感じもあるし、女性の描き方にもいろいろあり、人間クラーナハというのが全体を通して伝わってきたように思う。
入館すぐだったので顔のところが開いていないが、撮影用の顔ハメパネルが置いてあった。ホロフェルネスの方の役目はあまりやりたくないが。
なお、展覧会の混雑度合いは、開館すぐに入ったらそうでもなかった。1時間後くらいの時間帯はチケット売り場にある程度人がたまっていたが、12時頃になると、それも収まっていた模様。
東京では紅葉の時期なのかなあ。今日はかなり暖かくて、コートは必要ないくらい(私はスーツを着ている)であった。
■東京国立博物館「平安の秘仏―滋賀・櫟野寺の大観音とみほとけたち」。
「十一面観音菩薩坐像」:総高5メートル超という、巨大な観音菩薩。素直に圧倒させられる感覚。文様や装身具がきちんと残っている。
「観音菩薩立像」:釣り目に細身、スタイルの良い観音菩薩である。
「十一面観音菩薩立像」:衣の流麗さに目を引かれる。
「薬師如来坐像」:こちらもかなり大きな仏像なのだが、やや人間に近いため、何とも言えない異物感を感じる。
その後は、恒例の東博常設展巡りへ。
重文「慈恵大師坐像」。
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浄瑠璃寺伝来、十分「十二神将立像」。
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ドイツの「色絵虫魚浮彫飾皿」。ちょっと使う気にはなれない。
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東博本館の階段と照明。
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国宝「寛平御時后宮歌合」。かな文字の流麗さを見よ。
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国宝「法華経方便品」。
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狩野山楽「車争図屏風」。
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長谷川等伯「瀟湘八景図屏風」。
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さらに東洋館では「上海博物館との共演」や篆刻展も開催されていた。急いで見るも、時間がない。