7月17日は道みんの日なのだそうだ。何となく人を小馬鹿にした感じの名称だが、正式には「北海道みんなの日」というらしい。これまた、子供だましの名称に思えるが、まあ、それはどうでもいい。
この日を記念して、JR北海道が「道みんの日・日帰り周遊パス」を発売したのである。これは3000円でJR北海道と道南いさりび鉄道の普通列車(快速含む)普通車自由席が乗り放題になるというものだ。この切符は乗車可能な当日購入はできず、前売りに限る仕組みになっている。私はワクワクしながらこれを購入し、さてどこに行こうかと考えた。
しかし、しかしなのである。「行ったきりなら幸せになるがいい~」じゃなくて、行くだけならばかなりのところまで行けそうなのだが、札幌に戻ってくる前提だとすると、函館、釧路、北見、稚内などすべて無理なのである。それはおろか、バス代行になっているため帯広の往復すらできないのだ。いや、それは嘘だった。今調べると帯広に1時間17分滞在で、行って帰ってくることができる。しかし、それが何になるだろう。
ということで、少なくとも一日散歩きっぷの圏外には行ってみようということで、旭川に行くことにした。さすがに旭川に行くと、かなりの時間を有効に使うことができる。いや、こうなると、あそこにも行けるな…
ということで、早朝、恒例の琴似駅からスタート。
まず最初に到着したのは苫小牧駅である。
そう、今日は企画展「NITTAN ART FILE2:クロスオーバー」展の最終日だったのである。
■苫小牧市美術博物館「NITTAN ART FILE2:クロスオーバー」。
千代明「Work no.20 2016」:平面作品なのだが、奥行きの感じられる驚きの作品。ペイントの流れが龍にも見える。
佐竹真紀「Pivot」:王子製紙の煙突を中心に360度全方位から撮影した写真をビデオ作品にしたもの。横の小さめの煙突が回転して見えることから、いろいろな方向から撮影していることが分かる。また「≪Pivot≫制作のための撮影ポイント」という資料展示もあるので、こちらを見ても、ぐるっと周囲から撮影したことが分かる。苫小牧の街のシンボルが王子製紙の煙突ということを端的に表しているように思える。
中坪淳彦「都市の記憶」:映像資料「昭和40年代の苫小牧」を編集し、静かな音楽をつけた作品。不思議なリリカルさを持って見ることができるのだが、決してあの時代は美しいだけの時代ではなかった(と、昭和40年生まれの私は思う)。自動車の前後を無造作に人間が横断しているあたりが、昨今とは違った感覚を表現している。
加藤広貴「トマコマイ」:飛行機から見たような苫小牧の上空からの眺めを画にした作品。青い海がまぶしい。
加藤広貴「バべリング」:周囲はどことなく懐かしさを感じるような低層の都市なのだが、中央に細く高く伸びるビル。これがバベルの塔を暗示させるモチーフなのだろう。どこまでも高く伸びるのか、いや最初から限界があるのは分かっているのだ。
加藤広貴「10本足の舟」:これも舟の形に、余りにも細く崩壊を予感させる足がついた乗り物。滅びへの感覚だと思う。
松井紫朗「手に取る宇宙-アチラトコチラin苫小牧」:宇宙空間をイメージさせるオブジェの中に入り、また逆側の入口から入ってオブジェを外側から見ることができる作品。クラインの壺というか、世界の内と外を感じさせる作品だ。
最後に、前回来訪時も見た松井紫朗「Channel」。中庭にある3方向に向かった伝声管という感じの作品だが、ちょうどカラスがその上を歩いていた。もちろんの事、管を伝わって「カツカツ」というカラスの足音も聞こえる。当初の作品イメージを超えた一瞬であった。
さて、見終わって外に出ると、雨が降ってきた。傘は持っているものの、駅へ急ごう。
この日を記念して、JR北海道が「道みんの日・日帰り周遊パス」を発売したのである。これは3000円でJR北海道と道南いさりび鉄道の普通列車(快速含む)普通車自由席が乗り放題になるというものだ。この切符は乗車可能な当日購入はできず、前売りに限る仕組みになっている。私はワクワクしながらこれを購入し、さてどこに行こうかと考えた。
しかし、しかしなのである。「行ったきりなら幸せになるがいい~」じゃなくて、行くだけならばかなりのところまで行けそうなのだが、札幌に戻ってくる前提だとすると、函館、釧路、北見、稚内などすべて無理なのである。それはおろか、バス代行になっているため帯広の往復すらできないのだ。いや、それは嘘だった。今調べると帯広に1時間17分滞在で、行って帰ってくることができる。しかし、それが何になるだろう。
ということで、少なくとも一日散歩きっぷの圏外には行ってみようということで、旭川に行くことにした。さすがに旭川に行くと、かなりの時間を有効に使うことができる。いや、こうなると、あそこにも行けるな…
ということで、早朝、恒例の琴似駅からスタート。
まず最初に到着したのは苫小牧駅である。
そう、今日は企画展「NITTAN ART FILE2:クロスオーバー」展の最終日だったのである。
■苫小牧市美術博物館「NITTAN ART FILE2:クロスオーバー」。
千代明「Work no.20 2016」:平面作品なのだが、奥行きの感じられる驚きの作品。ペイントの流れが龍にも見える。
佐竹真紀「Pivot」:王子製紙の煙突を中心に360度全方位から撮影した写真をビデオ作品にしたもの。横の小さめの煙突が回転して見えることから、いろいろな方向から撮影していることが分かる。また「≪Pivot≫制作のための撮影ポイント」という資料展示もあるので、こちらを見ても、ぐるっと周囲から撮影したことが分かる。苫小牧の街のシンボルが王子製紙の煙突ということを端的に表しているように思える。
中坪淳彦「都市の記憶」:映像資料「昭和40年代の苫小牧」を編集し、静かな音楽をつけた作品。不思議なリリカルさを持って見ることができるのだが、決してあの時代は美しいだけの時代ではなかった(と、昭和40年生まれの私は思う)。自動車の前後を無造作に人間が横断しているあたりが、昨今とは違った感覚を表現している。
加藤広貴「トマコマイ」:飛行機から見たような苫小牧の上空からの眺めを画にした作品。青い海がまぶしい。
加藤広貴「バべリング」:周囲はどことなく懐かしさを感じるような低層の都市なのだが、中央に細く高く伸びるビル。これがバベルの塔を暗示させるモチーフなのだろう。どこまでも高く伸びるのか、いや最初から限界があるのは分かっているのだ。
加藤広貴「10本足の舟」:これも舟の形に、余りにも細く崩壊を予感させる足がついた乗り物。滅びへの感覚だと思う。
松井紫朗「手に取る宇宙-アチラトコチラin苫小牧」:宇宙空間をイメージさせるオブジェの中に入り、また逆側の入口から入ってオブジェを外側から見ることができる作品。クラインの壺というか、世界の内と外を感じさせる作品だ。
最後に、前回来訪時も見た松井紫朗「Channel」。中庭にある3方向に向かった伝声管という感じの作品だが、ちょうどカラスがその上を歩いていた。もちろんの事、管を伝わって「カツカツ」というカラスの足音も聞こえる。当初の作品イメージを超えた一瞬であった。
さて、見終わって外に出ると、雨が降ってきた。傘は持っているものの、駅へ急ごう。