タイトル通り、北海道大学総合博物館の夏季企画展示「視ることを通して」に関するテキストを電子化しておきたい。
■9/8「企画展“視ることを通して”のねらい」
・展示企画者による講演である。
・学術資料アーカイブというのは、ニッチであり残すべき強い根拠(標本などのように)はない。但し、感覚的には重要。
・証拠的価値や歴史的価値は薄いが、新たな研究教育、文化学術活動の資料的な価値はある。
・しかし、大量で、ものを特定しにくい。また、時に(深く)階層化されて管理され、見つけにくい。
・アーカイブというのは原則的にはそのまま保存するもので、分類はしない。
・今企画展の狙いは3つ。
1.アーカイブの存在をアピールすること
2.アーカイブのコンテキストをかえる、そらすこと。
3.活用の可能性を示すこと。
・この展示も最初に展示場所を決める時に「分類」という形になってしまいそうだったが、途中からタグ付けと言う形に変えた。
・一般に資料というものは、収集→保存→研究→展示とステップを踏むが、研究は時間がかかる。
ものは劣化していくし、人が死んで意味が失われるものもある。
・今回は研究はさておき、保存したものを展示する試み。活用に向けて、存在を認知させたい。
・但し、このような取り組みもすでにあり、いわゆる新収蔵品展示というものは、まだ研究が進んでいなくても展示する。
・「百科全書」は今展示のシンボルであり、近代学術資料の開始地点と位置付けた。
・各エリアの導入部に専用の展示ケースを作成し展示してある。
・「百科全書」は版を特定するだけでも研究となるくらい。
・最初は一番著名な「蚤」の図版を展示し、次は象徴的なページを展示した(次写真)。
・ここでは、真理、理性、想像力、神学、哲学がその序列で描かれている。言葉で書くと神学が下に来ることに対して、
もめたのであろうが、イメージで伝える作戦。
・「sapporo」のパノラマ写真は道庁屋上から東南方向を写したもの。彩色が自然で記録性を意識したものに見える。
これを展示したところ、「その写真、北大北方資料室にありますよ」との情報が寄せられた。
公開ありきで展示したが、それをきっかけに情報が集まるという例になった。
・それに対して「横浜写真」というのは、エキゾチック、オリエンタルイメージ。お土産になったものだから。
・「水産学掛図」は、監修した教授と画工スタッフのやり取りの跡が残されている。
・「八木健三スケッチブック」は371冊のスケッチブックから、1062点をデジタル化した。
・一定の規則でページを抜き出し、その中から、目次とカラー彩色してあるページを選んでおり、
特に私自身が「これは面白い」という観点では選んでいない。見る側で発見をしてほしいという、
アーカイブ活用の試みである。
・映像作家に作ってもらった作品については、元のコンテクストを意識せず、調査もせずに使ってほしいと依頼した。
・染色体異常を扱った映像では、異常の特徴こそが顔に出るということで、顔をそのまま映す研究者と、
プライバシーの問題から、それはできないという文部省の意見が割れ、2つのバージョンができた。
【質問コーナー】
Q)この展示、実際の研究者からはどのような意見があったか。
A)美術史を研究している人からは、映像をコラージュ的に再利用するのは、現代美術としては一般的。
やって良いというお墨付きを得たように思う。
Q)逆に一般の人の反応はどうか。「面白い!」なのか、そうでないのか。
A)解説員がいる時に、展示の趣旨を伝えると、分かりが良いようである。
札幌ではあまり見ないタイプの展示だと言ってくれたのは、ある学芸員の方。
「楽しむ」と言う意味付けをしたタグが重要と考えている。
Q)雲の映像の作品があるが、あれはナレーションなどをつける気はなかったのか。
A)実は自分でも「ナレーション必要だよね」と思うところはある。しかしそれをやると分かりやすいストーリーの提示になる。
ストーリーの無い映像もあるよと示したかった。
Q)分類からタグへというのはどう切り替わったのか。
A)アーカイブは分類しないのが原則。展示には何らかの視点が必要だが、展示位置によって「この仲間」という1つの性格付け
をするのは無理なこと。タグ付けは複数の意味を持たせることができる。
■8/31「学術資料を用いた表現行為の可能性」。
・山下俊介(企画者)、大島慶太郎(映像作家)、佐竹真紀(映像作家)、コメンテーター浅沼 敬子
(北海道大学大学院文学研究科准教授)の4名によるトークイベント。
【山下】
・研究活動に根差したビジュアル資料、しかし学術的価値が形づくられていないものを展示している。
・展示室の外、博物館全体を使って展示を行った。
・資料によっては調査、研究に力を入れられないものがある。収集保存だけしておき、活用へつなげる。
・ガラス乾板は整理の前に現物があり、早く活用したくて映像作家に使ってもらった。
・アーカイヴズは研究者の文脈にのっとり、何分野の何年何月何日の資料というように、階層的構造に置かれる。
そうなると面白い資料があっても、アクセスに時間がかかる。そこをすっ飛ばして見たい。
・博物館に来ていない人を集める意味合いで、今回、芸術作家のコミュニティに手を広げてみた。
・映像作品については、資料のコンテクストはさておき、博物館の特別な部屋というのを生かした。
・アーカイブは長いし、量が多い。どこを見てくれとは言いにくい。研究者なら研究価値から選ぶことになるが、
そこを誤解も含めて、作家の方にチョイスしてもらった。
・ちなみに雲の映像は、ずっと雲を下から見上げて研究していた研究者が、初めて上から見て研究しようと
思ったものらしい。
【大島】
・普段は映像作品構造の解体、映画の1秒24コマを解体して組み合わせて作品を作っている。
・もう一つはフイルムの物質性を見せること。デジタル化の流れはあるが、紙でもいいではないかと。
そう思って、絵葉書のコラージュなどをやってきたが、今回はガラス乾版を使ってほしいという依頼があった。
・ガラス乾版は大量にあるが、映像なのに見られずに劣化していく。
・今回、音をつけたのは音響作家の方に自由にやってくれと依頼した。イメージを取り込んで音にする仕組みを使っている。
・佐竹作品は雲の動きそのものの面白さがある。
【佐竹】
・フィオナ・タンの人と影が逆転する作品「ダウンサイド・アップ」に興味を持っている。
・博物館、美術館から映像を借りて、物量による平面化、微細化、無常観のようなものを。
・ずっと見ていられる映像にするには、表現がいる。
【質問コーナー】
Q)今回の展示は作品なのか、あくまでも資料なのか。
A)今回は作品と言い切れない、素材の不思議さがある。自分の作品にするなら映画化したいし、
作業をして作った以上、作品と言わざるを得ないような気もする(大島)
A)利用の許可を得ていない、またここで切ってい良いのか? と思うと作品とは言い切れない(佐竹)
A)通常作品を作るのにトリミングするようにしてから、素材を切ることの罪悪感はない(大島)
A)作家が関わるものだから、最初は作品としてほしかった。次の展開やインスピレーションを生むものに
なってさえいれば、どちらと決めなくても(山下)
A)現代の作品は既成のものを使うのはあたりまえ。そこに意味付けをしていく(大島)
Q)作品を作るときに、相互に批評するのか?
A)夫婦で作業効率化の手伝いはするが、批評・評価はしない(大島) ※大島氏、佐竹氏はご夫婦とか。
Q)父親の撮影した写真を素材として使うことは、何か言われているのか。
A)父からは、もう写真は自分のものとは思っていない。使ってくれてありがとう、と言われる(佐竹)
もの凄く読みにくいと思うが、とりあえず、こんなところで勘弁して下さい。
■9/8「企画展“視ることを通して”のねらい」
・展示企画者による講演である。
・学術資料アーカイブというのは、ニッチであり残すべき強い根拠(標本などのように)はない。但し、感覚的には重要。
・証拠的価値や歴史的価値は薄いが、新たな研究教育、文化学術活動の資料的な価値はある。
・しかし、大量で、ものを特定しにくい。また、時に(深く)階層化されて管理され、見つけにくい。
・アーカイブというのは原則的にはそのまま保存するもので、分類はしない。
・今企画展の狙いは3つ。
1.アーカイブの存在をアピールすること
2.アーカイブのコンテキストをかえる、そらすこと。
3.活用の可能性を示すこと。
・この展示も最初に展示場所を決める時に「分類」という形になってしまいそうだったが、途中からタグ付けと言う形に変えた。
・一般に資料というものは、収集→保存→研究→展示とステップを踏むが、研究は時間がかかる。
ものは劣化していくし、人が死んで意味が失われるものもある。
・今回は研究はさておき、保存したものを展示する試み。活用に向けて、存在を認知させたい。
・但し、このような取り組みもすでにあり、いわゆる新収蔵品展示というものは、まだ研究が進んでいなくても展示する。
・「百科全書」は今展示のシンボルであり、近代学術資料の開始地点と位置付けた。
・各エリアの導入部に専用の展示ケースを作成し展示してある。
・「百科全書」は版を特定するだけでも研究となるくらい。
・最初は一番著名な「蚤」の図版を展示し、次は象徴的なページを展示した(次写真)。
・ここでは、真理、理性、想像力、神学、哲学がその序列で描かれている。言葉で書くと神学が下に来ることに対して、
もめたのであろうが、イメージで伝える作戦。
・「sapporo」のパノラマ写真は道庁屋上から東南方向を写したもの。彩色が自然で記録性を意識したものに見える。
これを展示したところ、「その写真、北大北方資料室にありますよ」との情報が寄せられた。
公開ありきで展示したが、それをきっかけに情報が集まるという例になった。
・それに対して「横浜写真」というのは、エキゾチック、オリエンタルイメージ。お土産になったものだから。
・「水産学掛図」は、監修した教授と画工スタッフのやり取りの跡が残されている。
・「八木健三スケッチブック」は371冊のスケッチブックから、1062点をデジタル化した。
・一定の規則でページを抜き出し、その中から、目次とカラー彩色してあるページを選んでおり、
特に私自身が「これは面白い」という観点では選んでいない。見る側で発見をしてほしいという、
アーカイブ活用の試みである。
・映像作家に作ってもらった作品については、元のコンテクストを意識せず、調査もせずに使ってほしいと依頼した。
・染色体異常を扱った映像では、異常の特徴こそが顔に出るということで、顔をそのまま映す研究者と、
プライバシーの問題から、それはできないという文部省の意見が割れ、2つのバージョンができた。
【質問コーナー】
Q)この展示、実際の研究者からはどのような意見があったか。
A)美術史を研究している人からは、映像をコラージュ的に再利用するのは、現代美術としては一般的。
やって良いというお墨付きを得たように思う。
Q)逆に一般の人の反応はどうか。「面白い!」なのか、そうでないのか。
A)解説員がいる時に、展示の趣旨を伝えると、分かりが良いようである。
札幌ではあまり見ないタイプの展示だと言ってくれたのは、ある学芸員の方。
「楽しむ」と言う意味付けをしたタグが重要と考えている。
Q)雲の映像の作品があるが、あれはナレーションなどをつける気はなかったのか。
A)実は自分でも「ナレーション必要だよね」と思うところはある。しかしそれをやると分かりやすいストーリーの提示になる。
ストーリーの無い映像もあるよと示したかった。
Q)分類からタグへというのはどう切り替わったのか。
A)アーカイブは分類しないのが原則。展示には何らかの視点が必要だが、展示位置によって「この仲間」という1つの性格付け
をするのは無理なこと。タグ付けは複数の意味を持たせることができる。
■8/31「学術資料を用いた表現行為の可能性」。
・山下俊介(企画者)、大島慶太郎(映像作家)、佐竹真紀(映像作家)、コメンテーター浅沼 敬子
(北海道大学大学院文学研究科准教授)の4名によるトークイベント。
【山下】
・研究活動に根差したビジュアル資料、しかし学術的価値が形づくられていないものを展示している。
・展示室の外、博物館全体を使って展示を行った。
・資料によっては調査、研究に力を入れられないものがある。収集保存だけしておき、活用へつなげる。
・ガラス乾板は整理の前に現物があり、早く活用したくて映像作家に使ってもらった。
・アーカイヴズは研究者の文脈にのっとり、何分野の何年何月何日の資料というように、階層的構造に置かれる。
そうなると面白い資料があっても、アクセスに時間がかかる。そこをすっ飛ばして見たい。
・博物館に来ていない人を集める意味合いで、今回、芸術作家のコミュニティに手を広げてみた。
・映像作品については、資料のコンテクストはさておき、博物館の特別な部屋というのを生かした。
・アーカイブは長いし、量が多い。どこを見てくれとは言いにくい。研究者なら研究価値から選ぶことになるが、
そこを誤解も含めて、作家の方にチョイスしてもらった。
・ちなみに雲の映像は、ずっと雲を下から見上げて研究していた研究者が、初めて上から見て研究しようと
思ったものらしい。
【大島】
・普段は映像作品構造の解体、映画の1秒24コマを解体して組み合わせて作品を作っている。
・もう一つはフイルムの物質性を見せること。デジタル化の流れはあるが、紙でもいいではないかと。
そう思って、絵葉書のコラージュなどをやってきたが、今回はガラス乾版を使ってほしいという依頼があった。
・ガラス乾版は大量にあるが、映像なのに見られずに劣化していく。
・今回、音をつけたのは音響作家の方に自由にやってくれと依頼した。イメージを取り込んで音にする仕組みを使っている。
・佐竹作品は雲の動きそのものの面白さがある。
【佐竹】
・フィオナ・タンの人と影が逆転する作品「ダウンサイド・アップ」に興味を持っている。
・博物館、美術館から映像を借りて、物量による平面化、微細化、無常観のようなものを。
・ずっと見ていられる映像にするには、表現がいる。
【質問コーナー】
Q)今回の展示は作品なのか、あくまでも資料なのか。
A)今回は作品と言い切れない、素材の不思議さがある。自分の作品にするなら映画化したいし、
作業をして作った以上、作品と言わざるを得ないような気もする(大島)
A)利用の許可を得ていない、またここで切ってい良いのか? と思うと作品とは言い切れない(佐竹)
A)通常作品を作るのにトリミングするようにしてから、素材を切ることの罪悪感はない(大島)
A)作家が関わるものだから、最初は作品としてほしかった。次の展開やインスピレーションを生むものに
なってさえいれば、どちらと決めなくても(山下)
A)現代の作品は既成のものを使うのはあたりまえ。そこに意味付けをしていく(大島)
Q)作品を作るときに、相互に批評するのか?
A)夫婦で作業効率化の手伝いはするが、批評・評価はしない(大島) ※大島氏、佐竹氏はご夫婦とか。
Q)父親の撮影した写真を素材として使うことは、何か言われているのか。
A)父からは、もう写真は自分のものとは思っていない。使ってくれてありがとう、と言われる(佐竹)
もの凄く読みにくいと思うが、とりあえず、こんなところで勘弁して下さい。