すぐそばの大門駅に移動し、大江戸線で六本木へ。今日はまずここからだ。
■国立新美術館「ウイーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」。
マルティン・フェン・メイテンス「マリア・テレジア(額の装飾画:幼いヨーゼフ2世)」:まずは帝政時代の大きな絵画をかましてきた。
作者名なし「ウィーンのフリーメイソンのロッジ」:かなり珍しいフリーメイソンの内部の様子を描いた絵画。参加メンバーは皆、剣を持っているのが不思議(紳士たるもの常に剣を持ち、それでいて理性を忘れず、とかあるのかね?)。
カール・ルィートヴィヒ・ホフマイスター「絵画時計-王宮書斎での皇帝フランツ1世」:近代、執務室のデスクに座る皇帝。
アントン・ツィーグラー「ミヒャエラープラッツのバリケード、1848年5月26‐27日深夜」:焚火の明るさは民衆の夜明け前を表している。
「軍用トラベル・セット(広口カップ、塩・こしょう入れ、テーブルスプーン、ティースプーン、ナイフ、フォーク):こういう遊びのある小道具が登場するのは文化の証と言えよう。
ヴィルヘルム・アウグスト・リーダー「作曲家フランツ・シューベルト」:古典的肖像画だが、理知の人としてシューベルトが描かれている。
ユーリウス・シュミット「ウィーンの邸宅で開かれたシューベルトの夜会(シューベルティーデ)」:迫力と迫真の大きな作品。
フリードリヒ・フォン・アメリング「3つの最も嬉しいもの」:3つとは楽器、酒、女性なのか?
フリードリヒ・フォン・アメリング「黒いヴェール付きの帽子を被った、アントニー・アメリング」:これは同時代に生きた人の美人画と言えるだろう。
フェルディナント・ゲオルク・ヴァルトミュラー「白いサテンのドレスを着た少女」:布の質感が古典的に上手い。
フェルディナント・ゲオルク・ヴァルトミュラー「バラの季節」:これはもう印象派である。農村から都会ができて、さらにそこから再発見した田舎の風景という感じ。
グスタフ・クリムト「旧ブルク劇場の観客席」:クリムトは基本的に画がうまい人で、これも写真をコラージュしたようなリアリティがある。
エデゥアルト・レビーツキー「正義、寛容、敬虔(国会議事堂柱廊玄関モザイクフリーズのための習作)」:シンボリックな作品。背景が金色っぽい。
ハンス・マカルト「ドーラ・フルニエ=ガビロン」:赤地に赤毛の女。これはもうイイ女だ。
オットー・ヴァーグナー「美術アカデミー記念ホール設計計画」:世紀末の雰囲気、プログレが入ってきた。
モーリツ・ネーア「郵便貯金局メインホール」:日本の銀行のホールとそっくりで、日本にこの様式がブレなく入って来たのだと思う。
オットー・ヴァーグナー「ウィーン市立皇帝フランツ・ヨーゼフ博物館(シュメルツ)設計計画」:建物はすっきりとした遠近法で描かれているのだが、空にある雲がアートっぽい。
グスタフ・クリムト「牧歌(「アレゴリーとエンブレム」のための原画No.75)」:ジョジョの奇妙な冒険っぽいポーズ。
グスタフ・クリムト「牧歌(「アレゴリーとエンブレム」のための原画No.46)」:作品の両サイドが金貼りになっており、ジャポニスムの香りが強い。
グスタフ・クリムト「第1回ウィーン分離派展ポスター(検閲後)」:検閲前にはテーセウスの股間の毛がみえているのだが、検閲後には木で隠されている。それはやむを得なかったとしても、ミノタウロスの股間は検閲後も丸見えなのだが、それはどうなんだろう。
グスタフ・クリムト「パラス・アテナ」:メドゥーサの顔を首からかけていると言われても、どうも「アッカンベー小鬼」にしか見えない。
グスタフ・クリムト「グスタフ・クリムトの妹、ヘルミーネの肖像」:クリムト、やる気になれば超うまい人なんだよね。
マクシミリアン・クルツヴァイル「黄色いドレスの女性(画家の妻)」:緑の椅子に黄色いドレスが印象的な作品。しかし、ウェスト細いなあ(失神しそうだ)。
ヴィルヘルム・ベルナツィク「炎」:これもプログレ入ってます。
ヴィルヘルム・リスト「白と黒の絵画」:これに描かれている女性は白いメーテルだ!
「第6回ウィーン分離派展ポスター(日本美術展)」:描かれている日本の画が鷹狩りの様子で、「英山」と文字が入っている。菊川英山なのかね?
グスタフ・クリムト「エミーリエ・フレーゲの肖像」:美人というよりも、言わゆるイイ女か。本人が気に入らなかったそうなので、本当はもっと美人なのかも。
→この1枚のみ撮影可能。
エゴン・シーレ「ノイレングバッハの画家の部屋」:ゴッホの黄色い部屋に似たものがある。
エゴン・シーレ「ひまわり」:ありえないような細さと長さを持つひまわり。ハーケンのような鋭いとげ、下に赤い花。決して絵がうまいと思えないシーレだが、これは素晴らしい。
オスカー・ココシュカ「「クンストシャウ、サマーシアター」の演目、「殺人者、女たちの希望」のポスター」:殺人者がキャメルクラッチ式チキンウィングフェイスロックをかけているようにしか見えない。藤田の作品にもあったが、レスリングの見世物が一般的だったのかもしれないな・
クリムト、シーレ、ココシュカという有名画家の作品もあったが、全体を通して「ウィーンの時代の流れ」を堪能できた展覧会だと思う。その意味ではタイトル通りかも。見飽きることが無く、ウィーンの歴史に触れられたような気がする。
■国立新美術館「ウイーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」。
マルティン・フェン・メイテンス「マリア・テレジア(額の装飾画:幼いヨーゼフ2世)」:まずは帝政時代の大きな絵画をかましてきた。
作者名なし「ウィーンのフリーメイソンのロッジ」:かなり珍しいフリーメイソンの内部の様子を描いた絵画。参加メンバーは皆、剣を持っているのが不思議(紳士たるもの常に剣を持ち、それでいて理性を忘れず、とかあるのかね?)。
カール・ルィートヴィヒ・ホフマイスター「絵画時計-王宮書斎での皇帝フランツ1世」:近代、執務室のデスクに座る皇帝。
アントン・ツィーグラー「ミヒャエラープラッツのバリケード、1848年5月26‐27日深夜」:焚火の明るさは民衆の夜明け前を表している。
「軍用トラベル・セット(広口カップ、塩・こしょう入れ、テーブルスプーン、ティースプーン、ナイフ、フォーク):こういう遊びのある小道具が登場するのは文化の証と言えよう。
ヴィルヘルム・アウグスト・リーダー「作曲家フランツ・シューベルト」:古典的肖像画だが、理知の人としてシューベルトが描かれている。
ユーリウス・シュミット「ウィーンの邸宅で開かれたシューベルトの夜会(シューベルティーデ)」:迫力と迫真の大きな作品。
フリードリヒ・フォン・アメリング「3つの最も嬉しいもの」:3つとは楽器、酒、女性なのか?
フリードリヒ・フォン・アメリング「黒いヴェール付きの帽子を被った、アントニー・アメリング」:これは同時代に生きた人の美人画と言えるだろう。
フェルディナント・ゲオルク・ヴァルトミュラー「白いサテンのドレスを着た少女」:布の質感が古典的に上手い。
フェルディナント・ゲオルク・ヴァルトミュラー「バラの季節」:これはもう印象派である。農村から都会ができて、さらにそこから再発見した田舎の風景という感じ。
グスタフ・クリムト「旧ブルク劇場の観客席」:クリムトは基本的に画がうまい人で、これも写真をコラージュしたようなリアリティがある。
エデゥアルト・レビーツキー「正義、寛容、敬虔(国会議事堂柱廊玄関モザイクフリーズのための習作)」:シンボリックな作品。背景が金色っぽい。
ハンス・マカルト「ドーラ・フルニエ=ガビロン」:赤地に赤毛の女。これはもうイイ女だ。
オットー・ヴァーグナー「美術アカデミー記念ホール設計計画」:世紀末の雰囲気、プログレが入ってきた。
モーリツ・ネーア「郵便貯金局メインホール」:日本の銀行のホールとそっくりで、日本にこの様式がブレなく入って来たのだと思う。
オットー・ヴァーグナー「ウィーン市立皇帝フランツ・ヨーゼフ博物館(シュメルツ)設計計画」:建物はすっきりとした遠近法で描かれているのだが、空にある雲がアートっぽい。
グスタフ・クリムト「牧歌(「アレゴリーとエンブレム」のための原画No.75)」:ジョジョの奇妙な冒険っぽいポーズ。
グスタフ・クリムト「牧歌(「アレゴリーとエンブレム」のための原画No.46)」:作品の両サイドが金貼りになっており、ジャポニスムの香りが強い。
グスタフ・クリムト「第1回ウィーン分離派展ポスター(検閲後)」:検閲前にはテーセウスの股間の毛がみえているのだが、検閲後には木で隠されている。それはやむを得なかったとしても、ミノタウロスの股間は検閲後も丸見えなのだが、それはどうなんだろう。
グスタフ・クリムト「パラス・アテナ」:メドゥーサの顔を首からかけていると言われても、どうも「アッカンベー小鬼」にしか見えない。
グスタフ・クリムト「グスタフ・クリムトの妹、ヘルミーネの肖像」:クリムト、やる気になれば超うまい人なんだよね。
マクシミリアン・クルツヴァイル「黄色いドレスの女性(画家の妻)」:緑の椅子に黄色いドレスが印象的な作品。しかし、ウェスト細いなあ(失神しそうだ)。
ヴィルヘルム・ベルナツィク「炎」:これもプログレ入ってます。
ヴィルヘルム・リスト「白と黒の絵画」:これに描かれている女性は白いメーテルだ!
「第6回ウィーン分離派展ポスター(日本美術展)」:描かれている日本の画が鷹狩りの様子で、「英山」と文字が入っている。菊川英山なのかね?
グスタフ・クリムト「エミーリエ・フレーゲの肖像」:美人というよりも、言わゆるイイ女か。本人が気に入らなかったそうなので、本当はもっと美人なのかも。
→この1枚のみ撮影可能。
エゴン・シーレ「ノイレングバッハの画家の部屋」:ゴッホの黄色い部屋に似たものがある。
エゴン・シーレ「ひまわり」:ありえないような細さと長さを持つひまわり。ハーケンのような鋭いとげ、下に赤い花。決して絵がうまいと思えないシーレだが、これは素晴らしい。
オスカー・ココシュカ「「クンストシャウ、サマーシアター」の演目、「殺人者、女たちの希望」のポスター」:殺人者がキャメルクラッチ式チキンウィングフェイスロックをかけているようにしか見えない。藤田の作品にもあったが、レスリングの見世物が一般的だったのかもしれないな・
クリムト、シーレ、ココシュカという有名画家の作品もあったが、全体を通して「ウィーンの時代の流れ」を堪能できた展覧会だと思う。その意味ではタイトル通りかも。見飽きることが無く、ウィーンの歴史に触れられたような気がする。