「巡り」とは言っても、500m美術館「The Wall Street Diary」のみである。
展示期間中に製作が継続していた今回展だが、完成後、やっと通しで見ることができた。どちらかというと日記や断片的なインスタレーションで散漫な感じもするなと思っていたのだが、やっと今日になって私は気がついた。
作品の作成側の人間にとっては当たり前の事なのだろうが、作る側だって生きた人間で、疲れたり、調子が良かったり、やる気がなくなったりするのである。何となく見る側からすると、「完成品」だけを見るのが当然になってしまって、そこまでへのプロセスに思いをはせることがない。私など、展覧会の会期に入りながらまだ仕上げをしているのを見ると、腹が立ってくるくらい心が狭いのである(制作過程も見せるのが前提の場合は、問題ない)。
今回、日記形式で時系列の色々を散りばめることで、いろんな人間の営みから作品も生まれてくるんだよということを提示しているのだと思う。しかし、それが完成された作品として、人間の心をより打つのかどうかというと、別問題なのであって、なかなか難しいものがあるのだった。
***
1月5日は今年最初の土曜日だが、新たな展覧会もないためギャラリー巡りは中止。1月12日が最初のギャラリー巡りの日になる予定だが、この日は別の所用もあって、小規模になりそうである。
展示期間中に製作が継続していた今回展だが、完成後、やっと通しで見ることができた。どちらかというと日記や断片的なインスタレーションで散漫な感じもするなと思っていたのだが、やっと今日になって私は気がついた。
作品の作成側の人間にとっては当たり前の事なのだろうが、作る側だって生きた人間で、疲れたり、調子が良かったり、やる気がなくなったりするのである。何となく見る側からすると、「完成品」だけを見るのが当然になってしまって、そこまでへのプロセスに思いをはせることがない。私など、展覧会の会期に入りながらまだ仕上げをしているのを見ると、腹が立ってくるくらい心が狭いのである(制作過程も見せるのが前提の場合は、問題ない)。
今回、日記形式で時系列の色々を散りばめることで、いろんな人間の営みから作品も生まれてくるんだよということを提示しているのだと思う。しかし、それが完成された作品として、人間の心をより打つのかどうかというと、別問題なのであって、なかなか難しいものがあるのだった。
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1月5日は今年最初の土曜日だが、新たな展覧会もないためギャラリー巡りは中止。1月12日が最初のギャラリー巡りの日になる予定だが、この日は別の所用もあって、小規模になりそうである。