■愛知県美術館「印象派を超えて−点描の画家たち ゴッホ、スーラからモンドリアンまで」。
クロード・モネ「ラ・ロシュブロンドの村(夕暮れの印象)」:緑と赤の山、水色とピンクの空。モネのいい作品は本当にきれい。
ジョルジュ・スーラ「入り江の一角、オンフルール港」:まだ全面点描ではない。
ジョルジュ・スーラ「ポール=アン=ベッサンの日曜日」:これは全面点描。一色のものなど、存在しないのである。
ジョルジュ・スーラ「グラヴリーヌの水路、海を臨む」:画のふちが結構にぎやかな色彩(ゴッホ的)に彩られている。
ジョルジュ・スーラ「マフをはめた婦人」:紙の目にクレヨンを走らせ、結果的にフロッタージュというか、点描のようにも見える作品。
ジョルジュ・スーラ「アンサンブル(サーカスの客寄せ)」:もしかすると点で明暗を表現するモノクロ作品こそ、点描の真髄かも。
ポール・シニャック「ダイニングルーム作品152」:人物に表情がなく、ストイックでモザイク的。東欧を思わせる男の帽子で、またどこかかたくなな雰囲気も感じる。
マクシミリアン・リュス「鋳鉄工場」:細かい筆のタッチで炎を煙を表現。印象派に合う題材なのかも。
フィンセント・ファン・ゴッホ「石膏像のある静物」:黄緑の布、緑の像、青の背景を重ねるゴッホの色彩感。
フィンセント・ファン・ゴッホ「種まく人」:これは有名作品だ。
フィンセント・ファン・ゴッホ「若い女の肖像」:赤い服を着た、緑の顔の女。こちらは補色を使っているね。
ポール・ゴーギャン「ブルターニュの少年の水浴(愛の森の水車小屋の水浴、ポン=タヴェン)」:ゴーギャンにはこっちの趣味もあったのかと思わせるような作品。
ポール・ゴーギャン「木靴職人」:どことなく薄塗りな感じは、浮世絵の雰囲気あり。
テオ・ファン・レイセルベルヘ「≪7月の朝≫あるいは≪果樹園≫あるいは≪庭園に集う家族≫」:表情が分かる人物が一切いないところに、何か限界点を感じる。印象派が人間の表情を描けないということではないんだろうけどなあ。
ピート・モンドリアン「グリッドのあるコンポジション5:菱形、色彩のコンポジション」:グレーに近い中間色で描いた作品。オリエンタルな雰囲気も感じる。
こうして続けてみると、印象派から点描(ある人たちはキュビスムへ)、そして分割主義を経由して抽象に至るのは、必然という気がしてくるなあ。
この他、同じ建物内のギャラリーで幾つかの展覧会が開催されていた。
■「HARAMAKI展」。
原敏「脱離」:色彩が抜け切ったペプシコーラの看板、廃屋の窓の上に「ずす」という文字。寂れた風景を撮った写真作品。
蒔田孝道「近江商人の家 五個荘」:家の流し場に外の水路の水が入り込んでいるのだろう。そこを泳ぐ魚を繊細なペン画で描いた作品。
■「愛知産業大学造形学部デザイン学科 卒業研究・制作展2014」。
杉山夏美「私の空間演出「無意識」」:真っ白な食卓コーナーを設営し、様々な色の帯をどんどん描いていった作品。作業工程もビデオ(早回し)で映されている。
曳地茜「宿る」:フルーツや野菜の断面を描いたペン画。
美濃拓磨「うごけ!ジャクチュウ」:伊藤若冲の動植彩絵などに登場する動物をキャラクター化し、CG映像世界の中を動かす作品。単純に面白く見ることができる。
■「名古屋芸術大学卒業制作展」。150号位の作品も沢山出品されている。画の下に、感想ノートを置いておく人が多く、札幌では見たことがない光景だと思った。
■「素描展」。愛知県立芸術大学、東京芸術大学、名古屋芸術大学の在学生、卒業生が出品している鉛筆リアル画の展覧会。正直、札幌よりかなりこういう方面のレベルは高いと思う。
次の写真は愛知芸術文化センターの回廊にある作品。何だかよくわからないが、デカい。
クロード・モネ「ラ・ロシュブロンドの村(夕暮れの印象)」:緑と赤の山、水色とピンクの空。モネのいい作品は本当にきれい。
ジョルジュ・スーラ「入り江の一角、オンフルール港」:まだ全面点描ではない。
ジョルジュ・スーラ「ポール=アン=ベッサンの日曜日」:これは全面点描。一色のものなど、存在しないのである。
ジョルジュ・スーラ「グラヴリーヌの水路、海を臨む」:画のふちが結構にぎやかな色彩(ゴッホ的)に彩られている。
ジョルジュ・スーラ「マフをはめた婦人」:紙の目にクレヨンを走らせ、結果的にフロッタージュというか、点描のようにも見える作品。
ジョルジュ・スーラ「アンサンブル(サーカスの客寄せ)」:もしかすると点で明暗を表現するモノクロ作品こそ、点描の真髄かも。
ポール・シニャック「ダイニングルーム作品152」:人物に表情がなく、ストイックでモザイク的。東欧を思わせる男の帽子で、またどこかかたくなな雰囲気も感じる。
マクシミリアン・リュス「鋳鉄工場」:細かい筆のタッチで炎を煙を表現。印象派に合う題材なのかも。
フィンセント・ファン・ゴッホ「石膏像のある静物」:黄緑の布、緑の像、青の背景を重ねるゴッホの色彩感。
フィンセント・ファン・ゴッホ「種まく人」:これは有名作品だ。
フィンセント・ファン・ゴッホ「若い女の肖像」:赤い服を着た、緑の顔の女。こちらは補色を使っているね。
ポール・ゴーギャン「ブルターニュの少年の水浴(愛の森の水車小屋の水浴、ポン=タヴェン)」:ゴーギャンにはこっちの趣味もあったのかと思わせるような作品。
ポール・ゴーギャン「木靴職人」:どことなく薄塗りな感じは、浮世絵の雰囲気あり。
テオ・ファン・レイセルベルヘ「≪7月の朝≫あるいは≪果樹園≫あるいは≪庭園に集う家族≫」:表情が分かる人物が一切いないところに、何か限界点を感じる。印象派が人間の表情を描けないということではないんだろうけどなあ。
ピート・モンドリアン「グリッドのあるコンポジション5:菱形、色彩のコンポジション」:グレーに近い中間色で描いた作品。オリエンタルな雰囲気も感じる。
こうして続けてみると、印象派から点描(ある人たちはキュビスムへ)、そして分割主義を経由して抽象に至るのは、必然という気がしてくるなあ。
この他、同じ建物内のギャラリーで幾つかの展覧会が開催されていた。
■「HARAMAKI展」。
原敏「脱離」:色彩が抜け切ったペプシコーラの看板、廃屋の窓の上に「ずす」という文字。寂れた風景を撮った写真作品。
蒔田孝道「近江商人の家 五個荘」:家の流し場に外の水路の水が入り込んでいるのだろう。そこを泳ぐ魚を繊細なペン画で描いた作品。
■「愛知産業大学造形学部デザイン学科 卒業研究・制作展2014」。
杉山夏美「私の空間演出「無意識」」:真っ白な食卓コーナーを設営し、様々な色の帯をどんどん描いていった作品。作業工程もビデオ(早回し)で映されている。
曳地茜「宿る」:フルーツや野菜の断面を描いたペン画。
美濃拓磨「うごけ!ジャクチュウ」:伊藤若冲の動植彩絵などに登場する動物をキャラクター化し、CG映像世界の中を動かす作品。単純に面白く見ることができる。
■「名古屋芸術大学卒業制作展」。150号位の作品も沢山出品されている。画の下に、感想ノートを置いておく人が多く、札幌では見たことがない光景だと思った。
■「素描展」。愛知県立芸術大学、東京芸術大学、名古屋芸術大学の在学生、卒業生が出品している鉛筆リアル画の展覧会。正直、札幌よりかなりこういう方面のレベルは高いと思う。
次の写真は愛知芸術文化センターの回廊にある作品。何だかよくわからないが、デカい。