本日は道新→時計台→たぴお→大同→芸森→エッセ→大丸→三越→スカイホール→さいとう→ARTスペース201→富士フイルムの12か所。ちょっと少なかった。
本日はアルテピアの会員証を更新するためだけに近美へ。芸森に行かねばならないので、徳川美術館展は来週に回したいと思う。会場には顔ハメ看板があったので撮影しておいた。
札幌国際芸術祭も展示設営中。はたしてどうなることやら。
■時計台ギャラリー「グループ象展」。
川上直樹「国境地帯(望郷)」:壁に描かれたアルファベットのような文字は失われた過去の文明の文字か、まだ見ぬ異星文明の文字を思わせるようだ。この文字に懐かしさを感じる生命体もすでに滅び去っているのかもしれない。
田仲茂基「悠久の翼II」:そこに巨大な存在がいるかのような圧倒的迫力で梟を描いた作品。まだ描きかけなんだとか。
それ以外のお二人も、それぞれ独自の絵画を出品しているグループ展である。
■大同ギャラリー「北海道版画協会55周年記念展」。今回は目が引き寄せられる作品が多かったように思う。
田崎敦子「3−B」:最初は古林玲美の作品かと思ったのだが、もう少し大きな5センチ角で様々な色の四角形を配置した作品。気持ちの良い不揃いさがある。
橘内美貴子「ant」:色のグラデーションと線の上に蟻たちの列が。
石川亨信「地中」:と言いながら、人間は地中をイメージできずに水中のように見える。
宮井保郎「STAR BURST」:宇宙に浮かぶ星雲の襞のようだ。これはカッコイイ。
阿部芳子「きざし(2)」:抽象的な格子模様に葉っぱがデザインされており、縦に一筋の黄色の線がいい。
高野理栄子「Ame」:洞窟の中から見た夜空を見るかのような画。雨と言うか尖ったものが降ってきている。
大本靖「樺(カンバ)」:暗闇に白く光る木の姿。これもいいなあ。空の黒と山の黒の色を微妙に変えているのだ。
古林玲美「mosaic〜相1・2〜」:小さな正方形を沢山配置した作品。上半分は赤系統の色、下半分はモノトーン。やはり一度はモノトーンに取り組んで見るのもいい。
この他に韓国現代版画家協会作家招待作品が10点ほど展示されていた。明らかに日本風ではないので非常に興味深い。
Choi Haemin「Midnight Thirst」:右に液体の入ったコップ、左に空になったコップを配した作品。2点を同時に撮影したものではなく、2点の間には隙間があいている。これにより、液体が満ちていたところから無くなるまでの時間の経過を感じさせているのだと思う。
■札幌芸術の森美術館「存在の美学」。入場口でアルテピアの会員証を差し出すものの、今回の展覧会は伊達市などが主催のためアルテピアの会員証では見られないのだとか。こんなことなら近美に寄り道してくる必要はなかったよ…
野田弘志「崇高なるものシリーズ」:何だか人間コレクションのようで、急に不気味になって来た。今回の展覧会はガラスケースに入っていない作品でも、ごく間近まで接近して見ることができる。良くわかっているじゃない。
永山優子「Man is___.USU4GP020」:ただ滑らかに描けばいいというものではない。質感の変化が重要なのである。
永山優子「Man is___.RINA」:制作途中の作品。スカートの形の全体観をとらえながら、まだ塗りきっていない辺りは、画を描く人には参考になるのかな。
永山優子「Man is___エスキース」:完成作では椅子がより金属的に描かれ、小物入れの角度が真っ直ぐになっている。おそらく人間の体との対比感を強めるためだと思うが、エスキースがあると、考えるヒントになる。
廣戸絵美「室内」:描かれた女性は「あれ、どこかでお会いしたのでは」と思えるほどの生々しさだ。
廣戸絵美「廊下」:廊下の冷たい質感が良く出ている。床の白黒タイルはフェルメールを思わせるところがある。
渡抜亮「陳列者」:アンコウ、ホタテ、肉の塊を前にし、うつろな目で舌なめずりをする女性。人間であっても古典静物画の和久に取り込まれているのだ。
李暁剛「井」:どちらかというとリアル派は室内人物画、静物画が多いように思うが、民族衣装を着て井戸から水を汲む女性を描いた作品。まだまだ描くものはあると思う。
李暁剛「青いリンゴ」:青いリンゴをもつ女性。いや、それが隠喩となっているように、ギリギリ少女の頃なのか。
小尾修「Kay」:屋根裏部屋に立つ外国人男性。カイユボットを思い浮かべてしまう。
森永昌司「貝」:ガラスの器に入れられた貝。器の縁がひときわ白く輝いて、光の輪のようだ。
松村卓志「いのちのしらべ」:真ん中に立つ男の子はさておき、木板の床が良い。遠くまでずっとつながって、永遠の時空を表現しているように見える。
石黒賢一郎「VISTA DE NAJERA」:これまでの作品も十分にリアルなのだが、この作品の写真っぷりには必ずや驚かされると思う。これはあえて「古びたセピア色の写真」に見えるように描いているのだと思う。
水野暁「ARC−ある領域の中で−」:駆け上がるような弧を残し、逆さまになる鳥。背景が黒で、どこか日本画を思わせる作品だ。
芳川誠「午後」:土曜の午後、商店のシャッターをおろすオジサンといった雰囲気なのだが、実はオジサンの下半身は透けているのだ。さらに向こうの建物も透けており、商店街自身がすでに死を迎えているのだろう。
五味文彦「枯れ葉・浮遊II」:古材の周りに浮かぶ葉っぱ。リアルにしてあり得ない構図。
大畑稔浩「川尻と瀬戸内海」「野呂山と瀬戸内海」:パノラミックな爽快な風景画。濃い緑と大きな海、浮かぶ島の前には、人間の作った橋など、ほんのおもちゃのようだ。
芳川誠「曲鎌」:最後に配置されている絵画と立体の組み合わせ作品。これは驚くと思う。
ということで、期待通り見ごたえのある展覧会だった。
入口付近の池まで戻ってくると、下沢敏也「Re-birth森へ」がマルタ・パンの仲間に加わっていた。
ARTスペース201の写真展でまたもやアンケートを依頼される。アンケートって本当に参考にしているのかな? 来場者の年代と性別、良かったと答えた人の人数だけまとめて、部活の決算報告に添付しているだけじゃないのと勘ぐったりしてしまう。どうもアンケートを持たされると、集中できなくなるんだよね。
本日はアルテピアの会員証を更新するためだけに近美へ。芸森に行かねばならないので、徳川美術館展は来週に回したいと思う。会場には顔ハメ看板があったので撮影しておいた。
札幌国際芸術祭も展示設営中。はたしてどうなることやら。
■時計台ギャラリー「グループ象展」。
川上直樹「国境地帯(望郷)」:壁に描かれたアルファベットのような文字は失われた過去の文明の文字か、まだ見ぬ異星文明の文字を思わせるようだ。この文字に懐かしさを感じる生命体もすでに滅び去っているのかもしれない。
田仲茂基「悠久の翼II」:そこに巨大な存在がいるかのような圧倒的迫力で梟を描いた作品。まだ描きかけなんだとか。
それ以外のお二人も、それぞれ独自の絵画を出品しているグループ展である。
■大同ギャラリー「北海道版画協会55周年記念展」。今回は目が引き寄せられる作品が多かったように思う。
田崎敦子「3−B」:最初は古林玲美の作品かと思ったのだが、もう少し大きな5センチ角で様々な色の四角形を配置した作品。気持ちの良い不揃いさがある。
橘内美貴子「ant」:色のグラデーションと線の上に蟻たちの列が。
石川亨信「地中」:と言いながら、人間は地中をイメージできずに水中のように見える。
宮井保郎「STAR BURST」:宇宙に浮かぶ星雲の襞のようだ。これはカッコイイ。
阿部芳子「きざし(2)」:抽象的な格子模様に葉っぱがデザインされており、縦に一筋の黄色の線がいい。
高野理栄子「Ame」:洞窟の中から見た夜空を見るかのような画。雨と言うか尖ったものが降ってきている。
大本靖「樺(カンバ)」:暗闇に白く光る木の姿。これもいいなあ。空の黒と山の黒の色を微妙に変えているのだ。
古林玲美「mosaic〜相1・2〜」:小さな正方形を沢山配置した作品。上半分は赤系統の色、下半分はモノトーン。やはり一度はモノトーンに取り組んで見るのもいい。
この他に韓国現代版画家協会作家招待作品が10点ほど展示されていた。明らかに日本風ではないので非常に興味深い。
Choi Haemin「Midnight Thirst」:右に液体の入ったコップ、左に空になったコップを配した作品。2点を同時に撮影したものではなく、2点の間には隙間があいている。これにより、液体が満ちていたところから無くなるまでの時間の経過を感じさせているのだと思う。
■札幌芸術の森美術館「存在の美学」。入場口でアルテピアの会員証を差し出すものの、今回の展覧会は伊達市などが主催のためアルテピアの会員証では見られないのだとか。こんなことなら近美に寄り道してくる必要はなかったよ…
野田弘志「崇高なるものシリーズ」:何だか人間コレクションのようで、急に不気味になって来た。今回の展覧会はガラスケースに入っていない作品でも、ごく間近まで接近して見ることができる。良くわかっているじゃない。
永山優子「Man is___.USU4GP020」:ただ滑らかに描けばいいというものではない。質感の変化が重要なのである。
永山優子「Man is___.RINA」:制作途中の作品。スカートの形の全体観をとらえながら、まだ塗りきっていない辺りは、画を描く人には参考になるのかな。
永山優子「Man is___エスキース」:完成作では椅子がより金属的に描かれ、小物入れの角度が真っ直ぐになっている。おそらく人間の体との対比感を強めるためだと思うが、エスキースがあると、考えるヒントになる。
廣戸絵美「室内」:描かれた女性は「あれ、どこかでお会いしたのでは」と思えるほどの生々しさだ。
廣戸絵美「廊下」:廊下の冷たい質感が良く出ている。床の白黒タイルはフェルメールを思わせるところがある。
渡抜亮「陳列者」:アンコウ、ホタテ、肉の塊を前にし、うつろな目で舌なめずりをする女性。人間であっても古典静物画の和久に取り込まれているのだ。
李暁剛「井」:どちらかというとリアル派は室内人物画、静物画が多いように思うが、民族衣装を着て井戸から水を汲む女性を描いた作品。まだまだ描くものはあると思う。
李暁剛「青いリンゴ」:青いリンゴをもつ女性。いや、それが隠喩となっているように、ギリギリ少女の頃なのか。
小尾修「Kay」:屋根裏部屋に立つ外国人男性。カイユボットを思い浮かべてしまう。
森永昌司「貝」:ガラスの器に入れられた貝。器の縁がひときわ白く輝いて、光の輪のようだ。
松村卓志「いのちのしらべ」:真ん中に立つ男の子はさておき、木板の床が良い。遠くまでずっとつながって、永遠の時空を表現しているように見える。
石黒賢一郎「VISTA DE NAJERA」:これまでの作品も十分にリアルなのだが、この作品の写真っぷりには必ずや驚かされると思う。これはあえて「古びたセピア色の写真」に見えるように描いているのだと思う。
水野暁「ARC−ある領域の中で−」:駆け上がるような弧を残し、逆さまになる鳥。背景が黒で、どこか日本画を思わせる作品だ。
芳川誠「午後」:土曜の午後、商店のシャッターをおろすオジサンといった雰囲気なのだが、実はオジサンの下半身は透けているのだ。さらに向こうの建物も透けており、商店街自身がすでに死を迎えているのだろう。
五味文彦「枯れ葉・浮遊II」:古材の周りに浮かぶ葉っぱ。リアルにしてあり得ない構図。
大畑稔浩「川尻と瀬戸内海」「野呂山と瀬戸内海」:パノラミックな爽快な風景画。濃い緑と大きな海、浮かぶ島の前には、人間の作った橋など、ほんのおもちゃのようだ。
芳川誠「曲鎌」:最後に配置されている絵画と立体の組み合わせ作品。これは驚くと思う。
ということで、期待通り見ごたえのある展覧会だった。
入口付近の池まで戻ってくると、下沢敏也「Re-birth森へ」がマルタ・パンの仲間に加わっていた。
ARTスペース201の写真展でまたもやアンケートを依頼される。アンケートって本当に参考にしているのかな? 来場者の年代と性別、良かったと答えた人の人数だけまとめて、部活の決算報告に添付しているだけじゃないのと勘ぐったりしてしまう。どうもアンケートを持たされると、集中できなくなるんだよね。