本日は市民→文学館→創→鴨々堂→三越→さいとう→スカイホール→アリアンス→OYOYO→富士フイルム→大通→道新→時計台→大同→大丸→紀伊国屋→コンチネンタルの17か所。
■市民ギャラリー「第59回新北海道美術協会展」。
亀井由利「奔流」:ダイナミックに広がった白と黒の集大成か。
河合キヨ子「刻の流れの中で」:いつも魚のサヨリが気になるのだが、木の感じも上手い。
工藤悦子「悠久の華」:実に華やかでスケールが大きい。
浜地彩「ペラペラ星」:生物やマークのような薄い体、針金の足がついているのはペラペラ星の生物なのだろう。可愛い展示だ。
山形弘枝「いちごの判断」:北海道教職員美術展でも出品されていた、いちごの一部がクリスタルのようになっている作品。お気に入りである。
赤石操「Seed I」:環状の形を描いて、動きが感じられる。
宇流奈未「対話」:水平線にクリスタル状の岩を配置し、15個の惑星のような球体が浮かんでいる。15個というところから、もしかすると龍安寺をイメージしたものかな? 実にスケールが大きく、1階ロビーに展示されているので、まさに今回の顔とも言うべき作品だろう。
佐々木陸雄「鎮魂曲(還らぬ調べ2)」:野原に捨てられたトロンボーン?(楽器わからないよ)か。
宮木英貴「?En que Piensas?」(←タイトルは表記通りではありません):棚田のような海、太陽から渦巻きのように光が放たれている。エキセントリックで面白い作品。
ここ最近、新道展には苦言を呈してきたような気がするが、抽象派作家協会の出品者の活躍もあり、浮上傾向にあると思う。
■北海道立文学館「手から手へ展」。
ペテル・ウフナール「お伽話I」:深い森に魔法使いと、足のある家。雰囲気がある。
ペテル・ソイカ「NAHIKA」:病にかかりベッドに座る少女だろうか。
カタリーナ・スラニンコヴァー「過ち」他:奇妙な存在しない小動物を描いた作品。
ユーリア・ピアチコヴァー「浜辺I」:嵐の中、片方の足をすっ飛ばして駆ける少女人形。怖い。
イゴル・ピアチカ「囚われ人」:背中合わせの男女がラップのようなもので包まれている。意味ありげな作品。
ヨーケ・ファン・レーウェン「私たちの創造物」:かろうじて人にも見える奇妙な形。私たちはいったい何を作り出してしまったのか。
荒井良二「ニュー原始君」:一度文明が滅んで、再度手にした火なのか。それとも、原子力の火のメタファーか。
日本、スロバキア、オランダ、ドイツ、ベルギー、イタリアの絵本作家が、東日本大震災の後の子供たちに向けて作成した、画・版画・贈る言葉展である。「原子力発電やめろー!!」という声高なメッセージはないのだが、当たり前の風景を描いて、じわじわくるメッセージがある。
また、珍しい国のイラスト展、版画展としても楽しめる内容であった。
→一見涼しげだが、実に暑い。
■古民家gallery鴨々堂「村上陽一 個展「建築家の遺産」」。落ち着いたギャラリーで落ち着いた絵画を拝見。水音がとても涼しいが、ギャラリー内は実に暑い。
■さいとうギャラリー「櫻井マチ子展」。夏をイメージしたという白中心の作品。普段のカラフルな色使いからは一見イメージが違うが、櫻井カラーは変わりがない。
■OYOYOまち×アートセンターさっぽろ「Actinium(アクチニウム)-核をめぐる文化」。
赤城修司「Fukushima City」:福島の除染の様子を撮影した写真作品。ある一点に「頑張ろう! 福島 温泉たまご」「温泉ラヂウム玉子」というのが写っており、何ともアイロニカル。皆さん、ラジウムが放射性物質だって知っているよね?
トムソン&クレイグヘッド「Temporary Index」:アクチニウムの半減期を計るカウンター作品。私が見たときには685192633秒だったが、約21.71年なのである。当然、はるかに長い半減期をもつ物質もあり、長いのやら短いのやら。
■時計台ギャラリー「三上博子展」。
「葉」:燃え立つような緑の葉。バックの朱色との対比がいい。
■コンチネンタルギャラリー「Ten・ten2014 IN SAPPORO 書 imagined!」。作品を入れ替えての2週目。
石井抱旦「極III・曲・直」:グレーの背景に光と記号のような形。メシエ星雲カタログのようである。
友葭良一「動的線条・Jumping」:見知らぬ惑星に描かれたナスカ地上絵のようだ。
今回も「ザ・書道」という感じが全くしない展覧会である。
※以下、追記。
■大通美術館「北海道金工作家協会11人展」。
坂本裕「砂漠の街」:銀色・金色・赤の3つの金属板を重ねた表現。
新保恭子「Dear Andy Warhol,I like it,too」:キャンベルのスープ缶が平面から徐々に立ち上がってくるという連作表現。なかなか面白い。本人がおっしゃっていましたが、10年前くらいの旧作とのこと。
■市民ギャラリー「第59回新北海道美術協会展」。
亀井由利「奔流」:ダイナミックに広がった白と黒の集大成か。
河合キヨ子「刻の流れの中で」:いつも魚のサヨリが気になるのだが、木の感じも上手い。
工藤悦子「悠久の華」:実に華やかでスケールが大きい。
浜地彩「ペラペラ星」:生物やマークのような薄い体、針金の足がついているのはペラペラ星の生物なのだろう。可愛い展示だ。
山形弘枝「いちごの判断」:北海道教職員美術展でも出品されていた、いちごの一部がクリスタルのようになっている作品。お気に入りである。
赤石操「Seed I」:環状の形を描いて、動きが感じられる。
宇流奈未「対話」:水平線にクリスタル状の岩を配置し、15個の惑星のような球体が浮かんでいる。15個というところから、もしかすると龍安寺をイメージしたものかな? 実にスケールが大きく、1階ロビーに展示されているので、まさに今回の顔とも言うべき作品だろう。
佐々木陸雄「鎮魂曲(還らぬ調べ2)」:野原に捨てられたトロンボーン?(楽器わからないよ)か。
宮木英貴「?En que Piensas?」(←タイトルは表記通りではありません):棚田のような海、太陽から渦巻きのように光が放たれている。エキセントリックで面白い作品。
ここ最近、新道展には苦言を呈してきたような気がするが、抽象派作家協会の出品者の活躍もあり、浮上傾向にあると思う。
■北海道立文学館「手から手へ展」。
ペテル・ウフナール「お伽話I」:深い森に魔法使いと、足のある家。雰囲気がある。
ペテル・ソイカ「NAHIKA」:病にかかりベッドに座る少女だろうか。
カタリーナ・スラニンコヴァー「過ち」他:奇妙な存在しない小動物を描いた作品。
ユーリア・ピアチコヴァー「浜辺I」:嵐の中、片方の足をすっ飛ばして駆ける少女人形。怖い。
イゴル・ピアチカ「囚われ人」:背中合わせの男女がラップのようなもので包まれている。意味ありげな作品。
ヨーケ・ファン・レーウェン「私たちの創造物」:かろうじて人にも見える奇妙な形。私たちはいったい何を作り出してしまったのか。
荒井良二「ニュー原始君」:一度文明が滅んで、再度手にした火なのか。それとも、原子力の火のメタファーか。
日本、スロバキア、オランダ、ドイツ、ベルギー、イタリアの絵本作家が、東日本大震災の後の子供たちに向けて作成した、画・版画・贈る言葉展である。「原子力発電やめろー!!」という声高なメッセージはないのだが、当たり前の風景を描いて、じわじわくるメッセージがある。
また、珍しい国のイラスト展、版画展としても楽しめる内容であった。
→一見涼しげだが、実に暑い。
■古民家gallery鴨々堂「村上陽一 個展「建築家の遺産」」。落ち着いたギャラリーで落ち着いた絵画を拝見。水音がとても涼しいが、ギャラリー内は実に暑い。
■さいとうギャラリー「櫻井マチ子展」。夏をイメージしたという白中心の作品。普段のカラフルな色使いからは一見イメージが違うが、櫻井カラーは変わりがない。
■OYOYOまち×アートセンターさっぽろ「Actinium(アクチニウム)-核をめぐる文化」。
赤城修司「Fukushima City」:福島の除染の様子を撮影した写真作品。ある一点に「頑張ろう! 福島 温泉たまご」「温泉ラヂウム玉子」というのが写っており、何ともアイロニカル。皆さん、ラジウムが放射性物質だって知っているよね?
トムソン&クレイグヘッド「Temporary Index」:アクチニウムの半減期を計るカウンター作品。私が見たときには685192633秒だったが、約21.71年なのである。当然、はるかに長い半減期をもつ物質もあり、長いのやら短いのやら。
■時計台ギャラリー「三上博子展」。
「葉」:燃え立つような緑の葉。バックの朱色との対比がいい。
■コンチネンタルギャラリー「Ten・ten2014 IN SAPPORO 書 imagined!」。作品を入れ替えての2週目。
石井抱旦「極III・曲・直」:グレーの背景に光と記号のような形。メシエ星雲カタログのようである。
友葭良一「動的線条・Jumping」:見知らぬ惑星に描かれたナスカ地上絵のようだ。
今回も「ザ・書道」という感じが全くしない展覧会である。
※以下、追記。
■大通美術館「北海道金工作家協会11人展」。
坂本裕「砂漠の街」:銀色・金色・赤の3つの金属板を重ねた表現。
新保恭子「Dear Andy Warhol,I like it,too」:キャンベルのスープ缶が平面から徐々に立ち上がってくるという連作表現。なかなか面白い。本人がおっしゃっていましたが、10年前くらいの旧作とのこと。