さて、一番混雑していると噂の「ムンク展」だ。
■東京都美術館「ムンク展」。入場は10分待ちでさほどでもなかったが、前半戦のポートレート、版画小品で時間がかかっているようだった。思い切ってここはすっ飛ばす。
「地獄の自画像」:これはとても地獄っぽい。
「青空を背にした自画像」:ところが、明るいこの作品もある種の地獄を思わせるのだ。
「スペイン風邪の後の自画像」:本当に文明崩壊? レベルの地獄だったのだろうし。
「家壁の前の自画像」:蛍光色が使われており、サイバー自画像という感じがある。
「夏の夜、渚のインゲル」:石の妙な中間色にリアリティを感じる。
「メランコリー」:人物の目の前のグネグネはいったい何なのだろう。
「渚の青年たち」:ムンクと言えば、私は紫色と思うのだが、赤も効果的に使っている。
「浜辺にいる二人の女」:なぜか片方の女性はダースベーダーそっくりだ(私だけでなく、隣で見ていた人も「これ、ダースベーダーだ」と突然言っていた)。
「叫び」:「不安」「叫び」「絶望」の三部作の前は、足を止めずに動きながら見てくださいとずっと声がかけられていた。但し、すぐ後ろには止まってみることのできるエリアがあり、そんなに混雑しているわけでもないため、かなりじっくりと作品を見ることができた。初めて「叫び」を見たなとは思ったが、意外と塗りが薄いのね。
「絶望」:私の好みからすると、こちらの方がいい作品だと思う。
「接吻」:二人の顔が一つになり、四つの手がある(←妖怪人間ベム?)。まるで新たな生命体のようにも見える。
「接吻II」:木版のいい効果が出た作品。二人の顔は溶け合って一つになっている。
「クピドとプシュケ」:縦線を強調したためデジタル要素が感じられ、SFイラスト調にも見える。
「すすりなく裸婦」:シーツがすべて赤色で、なんとなく生々しいショックを与える。
「灰」:女性が「やっちまったー」と叫んでいる画。
「ダニエル・ヤコブソン」:名医としての肖像画だけではなく、どこかに悪魔的要素を持っている。
「並木道の新雪」:緑と紫で樹木をアスパラのように描いた作品。
「真夏」:このピンクと肌色。何とも奇妙な世界を描き出している。
「浜辺にいる二人の女」:1930年代に入るとさすがに再生産の気配が感じられる。
「東屋の傍の自画像」:顔も描かれておらず、年老い、歩き彷徨うだけなのか。
前回(2007年)に「ムンク展」を見たときには、何だか胸が締め付けられるような思いがしていたのだが、今回は特にその症状は出なかった。当時の私が何かに悩んでいたのか、今の私がとても無神経になったのか、それとも展覧会の質の差なのか、何だろう。それでも「不安」「叫び」「絶望」の3作が並んだ部屋は、フェルメールルームよりも良かったような気がする。
この後、東京都美術館で「見る、知る、感じる 現代の書」「喜怒哀楽の書」展を見る。
千葉蒼玄「鎮魂と復活 オーロラ(昇天)」:全体的に書と絵画の境目はないようだ。これは傑作だと思う。
↓
千葉蒼玄「3.11 鎮魂と復活」:亡くなった人の日々のつぶやきだろうか。とにかく様々な言葉が書かれており、読むのが辛くなる。
↓
この後、国立西洋美術館に戻る。
■東京都美術館「ムンク展」。入場は10分待ちでさほどでもなかったが、前半戦のポートレート、版画小品で時間がかかっているようだった。思い切ってここはすっ飛ばす。
「地獄の自画像」:これはとても地獄っぽい。
「青空を背にした自画像」:ところが、明るいこの作品もある種の地獄を思わせるのだ。
「スペイン風邪の後の自画像」:本当に文明崩壊? レベルの地獄だったのだろうし。
「家壁の前の自画像」:蛍光色が使われており、サイバー自画像という感じがある。
「夏の夜、渚のインゲル」:石の妙な中間色にリアリティを感じる。
「メランコリー」:人物の目の前のグネグネはいったい何なのだろう。
「渚の青年たち」:ムンクと言えば、私は紫色と思うのだが、赤も効果的に使っている。
「浜辺にいる二人の女」:なぜか片方の女性はダースベーダーそっくりだ(私だけでなく、隣で見ていた人も「これ、ダースベーダーだ」と突然言っていた)。
「叫び」:「不安」「叫び」「絶望」の三部作の前は、足を止めずに動きながら見てくださいとずっと声がかけられていた。但し、すぐ後ろには止まってみることのできるエリアがあり、そんなに混雑しているわけでもないため、かなりじっくりと作品を見ることができた。初めて「叫び」を見たなとは思ったが、意外と塗りが薄いのね。
「絶望」:私の好みからすると、こちらの方がいい作品だと思う。
「接吻」:二人の顔が一つになり、四つの手がある(←妖怪人間ベム?)。まるで新たな生命体のようにも見える。
「接吻II」:木版のいい効果が出た作品。二人の顔は溶け合って一つになっている。
「クピドとプシュケ」:縦線を強調したためデジタル要素が感じられ、SFイラスト調にも見える。
「すすりなく裸婦」:シーツがすべて赤色で、なんとなく生々しいショックを与える。
「灰」:女性が「やっちまったー」と叫んでいる画。
「ダニエル・ヤコブソン」:名医としての肖像画だけではなく、どこかに悪魔的要素を持っている。
「並木道の新雪」:緑と紫で樹木をアスパラのように描いた作品。
「真夏」:このピンクと肌色。何とも奇妙な世界を描き出している。
「浜辺にいる二人の女」:1930年代に入るとさすがに再生産の気配が感じられる。
「東屋の傍の自画像」:顔も描かれておらず、年老い、歩き彷徨うだけなのか。
前回(2007年)に「ムンク展」を見たときには、何だか胸が締め付けられるような思いがしていたのだが、今回は特にその症状は出なかった。当時の私が何かに悩んでいたのか、今の私がとても無神経になったのか、それとも展覧会の質の差なのか、何だろう。それでも「不安」「叫び」「絶望」の3作が並んだ部屋は、フェルメールルームよりも良かったような気がする。
この後、東京都美術館で「見る、知る、感じる 現代の書」「喜怒哀楽の書」展を見る。
千葉蒼玄「鎮魂と復活 オーロラ(昇天)」:全体的に書と絵画の境目はないようだ。これは傑作だと思う。
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千葉蒼玄「3.11 鎮魂と復活」:亡くなった人の日々のつぶやきだろうか。とにかく様々な言葉が書かれており、読むのが辛くなる。
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この後、国立西洋美術館に戻る。