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20190331ギャラリー巡り

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ギャラリー巡りと言っても、日曜日恒例の彫刻美術館のみ1か所。

■本郷新記念札幌彫刻美術館「POST 3.11 in Sapporo」。生と死を考える、非常にまじめな展覧会。白濱雅也氏のギャラリートークがあったので、その内容も交えながら、紹介したい(内容に関する文責は私にある)。

展覧会は「美術で何ができるか」を素朴に問いかける意味で始めたとのこと。被災地にはアート活動を通じたボランティアもいるが、純粋に作品を作ることで何ができるかを問うているのだとか。作家5人は被災した人もいれば、そうでない人もおり、震災とのかかわりは様々だそうだ。

安藤榮作「空気の狭間・光のさなぎより」:いわき市に住んでいた作家で、本人は被災しなかったが、家と作品を流され、その後転々と住所を変えているとのこと。中央の背の高い木彫は抱き合う男女を表したもの。震災被害を男性性と女性性の両方が力を合わせて立て直す意味合いがある。ドローイングは右下から始まり、左上へと時系列で描かれている。平和な町に震災が訪れ、そして原発事故へと。元々は14m幅の大作だったそうだ。



石塚雅子「吉祥」(右)、「インドラ」(左):震災後、何を描いてよいのか分からなくなり、闇の中から炎が現れるような作品、地獄絵のような作品をやっと描きだした。震災時の停電や闇の中で燃える町、また原発事故の絶望感を描いている。今回も「インドラ」はその傾向がある。作者は日本文化に傾倒しているところがあり、油彩画であってもどことなく和風の感じがする。法華経に興味を持ち、そこに触発されているとのこと。



白濱雅也「揺れる家」:解体材を集めていたところ、だんだん震災直後に見た瓦礫のような感じになって来た。そのころの空気を取り戻したく作った、組曲のような作品。メキシコでは黒い女神(グアダルーペ)が信仰されているのを見てきたが、あちこちに女神図を飾り、その周りに絵や写真を飾っている。それをヒントにした。画の中で茶色っぽいものは被災地の土や泥を使っている。また、○と×のマークを重ねたものは「この家には遺体がある」「回収済」というのを表したもの。また、家の土台だけが残っているのを見て、古代遺跡のようなイメージも感じてそれも画にした。仏龕的なものが好きだが、最初、仏像を彫るのは恐れ多いと思っていた。しかし、ガンダーラ仏を見ると、最初はブッダという人物を彫った人物彫刻であることに気が付いて、そこから彫れるようになった。顧みられなくなった、おみやげ人形のようなものを再生する彫刻もやっている。元の形を消すのではなく良い所を残し、また彫刻内彫刻のように中に人型を彫りだすようなこともやっている。人魚は行方不明になったいとこのイメージ。翼をつけて、成仏して欲しいと思って描いている。



半谷学「花降り」:花の部分は牡蠣養殖をするとつく藻のようなものから紙を作って、それを使っている。傘は不用品をもらうなどして集めたもの。作者は花が雨のように降ってくる夢を見て、それをもとにして作った作品。自分(白濱氏)が作ったポスターなどにこの作品を使ったが、月の明りの下でひそやかに咲く花をイメージしている。



横湯久美「その時のしるし」(右)、「真冬のお盆6年目」(左):祖母の死をどう受容していくかを表現した作品。右側の作品は年表になっているが、祖母は文学をやっており、当時、弾圧を受けた。夫も文学青年で早くに亡くなっている。祖母の顔を作者が描いたところ「死んだらデスマスクを作ってね」と言われてデスマスクを作ったのだとか。写真の中で祖母の死にショックを受けている自分の姿を見せながら、それを写真に残す冷静さという二面性を持ち合わせている。作っているときは発表することはできないと思っていたが、震災を機に発表することにしたのだそうだ。



これらの作品を見て、人の生死に思いをはせる時に「なんて最悪の事を引き起こしてしまったのだ」と思わざるを得ない。震災はもちろん天災であるから、これをどうこう言うことはできないが、問題は原子力発電所の事故である。あれは明らかに人災だ(直接的な責任者のみならず、日本人の多くが間接的な責任者であろう)。

そしてこの展覧会はそれを直視させる力があった。残念ながら会期は今日までなのだが、災害と事故に真正面から向かった展覧会を初めて見たような気がする。意義のある展覧会だった。


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