ああ、今日は完全自由日だ。6時に起床し、少しダラダラした後、キリンのカップラーメンの朝食。札幌でも見かけるのだが、愛知県碧南市製造とあって、コンビニでも普通に売っているのだ。
やはりホテルの部屋ではすることもなく、9時少し前にチェックアウト。名古屋市美術館へと向かう。まず見えてくるのは、豪快に圧迫感のある科学館。裏手にはロケット模型もあった。
美術館の開館20分くらい前に着いてしまい、しばらく周辺の彫刻観賞。これは別項でお届けする予定。やっと9時半になり入場。
■名古屋市美術館「親子で楽しむアートの世界 遠回りの旅」。
マックス・クリンガー「手袋」:岐阜県美術館の所蔵品らしいが、北海道立近代美術館にもある作品。久しぶりに見るなあ。
吉本作次「天使の独酌(原罪後)」:森の空き地で天使が一人酒を飲んでいる、静かなメルヘン的作品。原罪を抱えているのかもしれないが、おだやかな天使がいい。
ロートレック「馬上の二人の兵士」:なかなかデッサン力あるんだよ、ロートレックは。
デルヴォー「こだま(あるいは「街路の神秘」)」:夜の街路を裸の女3人が歩いている作品。遠近法的に(それより極端に)サイズを変えてある女性が、こだまのような繰り返しの雰囲気を出している。
坂本夏子「painters」:高橋コレクションで見たことがある人の画だ。鏡のような、画のような、景色のような不思議な図。作家らしい女性は何人にも分裂し、画の中からこちらに筆先を向けている。描かれているのは、もしかしてこちらの世界なのか。
宮島達男「Opposite Circle」:暗闇の中に光る緑と赤の数字カウンターでできた「円」は美しい。中央に柱があるのもポイントで、円が分断されてもいるし、光が柱に写り込んでもいる。
D.D「遅延 鏡の回廊」:木製の部屋を作り、一人づつ入って見るという作品。中には四方に通路があり、その四隅に鏡が配置されている。鏡を見ると、(原理的には)無限に自分の後ろ姿が見えてくるのだ。光速は有限であるから、見ているうちに自分の過去の背中も見えてくるのだろう。私はこれでブルースリーの鏡の間を思い出しもしたのだが、ちょっと驚いたのは自分の背中の雰囲気が父親に似ていることだ。当たり前と言えば当たり前なのだろうが。
フリーダ・カーロ「死の仮面を被った少女」:15センチ×10センチ位の小さな作品だが、初めてカーロを見るのかな。奇妙な味わいがある。
この他、三岸好太郎「蝶と貝殻」10点、岡本太郎「明日の神話」、草間彌生「ピンク・ボート」等の有名どころも展示されていた。
■名古屋市美術館「独立と革命 メキシコ現代版画展」。こういう海外の版画を見る機会というのは、貴重であり嬉しい。
ボリス・ビスキン「我が独立50周年」:外側からダビデの星、月と星(イスラム?)、十字架、卍マークが配置され、中央に顔写真(作家の?)があるという、宗教ミックスの大胆作品。
シスコ・ヒメネス「六つの前立腺」:岩山のような物体の中に6つの前立腺(prostata)がある、奇妙な作品。
■名古屋市美術館「名品コレクション展」。
ディエゴ・リベラ「スペイン風景(トレド)」:キュビスム的、モザイク調の風景が。パステルカラー。
ハイム・スーチン「セレの風景」:木がうねっているゆがんだ風景。
キース・ヴァン・ドンゲン「コルセットの女」:真っ白の背景に女と女の灰色の影が描かれた作品。挑発的である。
モーリス・ド・ブラマンク「雪の村」:白と黒をうねらせるのも上手い。
エドワード・ルッシェ「20世紀」:水平線に小さな船が浮かび、ヨーロッパに見えなくもない黒雲がかかっている。その上には「CRIME!」「LAW!」「BUSINESS!」といった20世紀キーワードが描かれているのだ。
河原温「百万年-未来」:ひたすら年号を並べた作品。開かれた1902ページ目には952001AD〜952500ADとタイプされている。この調子で8センチバインダー10冊という、途方もない作品なのだ。
ホセ・クレメンテ・オロスコ「メキシコ風景」:巨大サボテンの周りに3人の人物。イメージ通りのメキシコ。
ダビッド・アルファロ・シケイロス「婦人像」:巨大な顔が描かれた作品は、現代美術っぽい。
ルフィーノ・タマヨ「苦悶する人」:奇妙な人物と、傷づけるように伸びるとがったとげのような形。三岸の「悪魔」っぽい雰囲気でもある。
榊原紫峰「雪中柳鷺図」:なかなか上手い。
水谷芳年「花鳥図屏風」:前面に揺れているようなリズム感のある緑の葉とクジャクが描かれた作品。
エコール・ド・パリの作品(ドラン、キスリング、ユトリロ、モディリアーニ等)があるので、北海道立近代美術館収蔵品との見比べもできる。
見終わって、愛知県美術館方面へ移動。少し早目の昼食を取ろう。
やはりホテルの部屋ではすることもなく、9時少し前にチェックアウト。名古屋市美術館へと向かう。まず見えてくるのは、豪快に圧迫感のある科学館。裏手にはロケット模型もあった。
美術館の開館20分くらい前に着いてしまい、しばらく周辺の彫刻観賞。これは別項でお届けする予定。やっと9時半になり入場。
■名古屋市美術館「親子で楽しむアートの世界 遠回りの旅」。
マックス・クリンガー「手袋」:岐阜県美術館の所蔵品らしいが、北海道立近代美術館にもある作品。久しぶりに見るなあ。
吉本作次「天使の独酌(原罪後)」:森の空き地で天使が一人酒を飲んでいる、静かなメルヘン的作品。原罪を抱えているのかもしれないが、おだやかな天使がいい。
ロートレック「馬上の二人の兵士」:なかなかデッサン力あるんだよ、ロートレックは。
デルヴォー「こだま(あるいは「街路の神秘」)」:夜の街路を裸の女3人が歩いている作品。遠近法的に(それより極端に)サイズを変えてある女性が、こだまのような繰り返しの雰囲気を出している。
坂本夏子「painters」:高橋コレクションで見たことがある人の画だ。鏡のような、画のような、景色のような不思議な図。作家らしい女性は何人にも分裂し、画の中からこちらに筆先を向けている。描かれているのは、もしかしてこちらの世界なのか。
宮島達男「Opposite Circle」:暗闇の中に光る緑と赤の数字カウンターでできた「円」は美しい。中央に柱があるのもポイントで、円が分断されてもいるし、光が柱に写り込んでもいる。
D.D「遅延 鏡の回廊」:木製の部屋を作り、一人づつ入って見るという作品。中には四方に通路があり、その四隅に鏡が配置されている。鏡を見ると、(原理的には)無限に自分の後ろ姿が見えてくるのだ。光速は有限であるから、見ているうちに自分の過去の背中も見えてくるのだろう。私はこれでブルースリーの鏡の間を思い出しもしたのだが、ちょっと驚いたのは自分の背中の雰囲気が父親に似ていることだ。当たり前と言えば当たり前なのだろうが。
フリーダ・カーロ「死の仮面を被った少女」:15センチ×10センチ位の小さな作品だが、初めてカーロを見るのかな。奇妙な味わいがある。
この他、三岸好太郎「蝶と貝殻」10点、岡本太郎「明日の神話」、草間彌生「ピンク・ボート」等の有名どころも展示されていた。
■名古屋市美術館「独立と革命 メキシコ現代版画展」。こういう海外の版画を見る機会というのは、貴重であり嬉しい。
ボリス・ビスキン「我が独立50周年」:外側からダビデの星、月と星(イスラム?)、十字架、卍マークが配置され、中央に顔写真(作家の?)があるという、宗教ミックスの大胆作品。
シスコ・ヒメネス「六つの前立腺」:岩山のような物体の中に6つの前立腺(prostata)がある、奇妙な作品。
■名古屋市美術館「名品コレクション展」。
ディエゴ・リベラ「スペイン風景(トレド)」:キュビスム的、モザイク調の風景が。パステルカラー。
ハイム・スーチン「セレの風景」:木がうねっているゆがんだ風景。
キース・ヴァン・ドンゲン「コルセットの女」:真っ白の背景に女と女の灰色の影が描かれた作品。挑発的である。
モーリス・ド・ブラマンク「雪の村」:白と黒をうねらせるのも上手い。
エドワード・ルッシェ「20世紀」:水平線に小さな船が浮かび、ヨーロッパに見えなくもない黒雲がかかっている。その上には「CRIME!」「LAW!」「BUSINESS!」といった20世紀キーワードが描かれているのだ。
河原温「百万年-未来」:ひたすら年号を並べた作品。開かれた1902ページ目には952001AD〜952500ADとタイプされている。この調子で8センチバインダー10冊という、途方もない作品なのだ。
ホセ・クレメンテ・オロスコ「メキシコ風景」:巨大サボテンの周りに3人の人物。イメージ通りのメキシコ。
ダビッド・アルファロ・シケイロス「婦人像」:巨大な顔が描かれた作品は、現代美術っぽい。
ルフィーノ・タマヨ「苦悶する人」:奇妙な人物と、傷づけるように伸びるとがったとげのような形。三岸の「悪魔」っぽい雰囲気でもある。
榊原紫峰「雪中柳鷺図」:なかなか上手い。
水谷芳年「花鳥図屏風」:前面に揺れているようなリズム感のある緑の葉とクジャクが描かれた作品。
エコール・ド・パリの作品(ドラン、キスリング、ユトリロ、モディリアーニ等)があるので、北海道立近代美術館収蔵品との見比べもできる。
見終わって、愛知県美術館方面へ移動。少し早目の昼食を取ろう。