直島の宮浦に到着。船の到着予定時間が13:57、バスの発車時刻が13:55。おかしいなとは思っていたものの、バスは船の到着を待つに違いないと思っていたら、とっくに発車済みだった。次のバスは約1時間後の出発なのである。これ、どう考えてもおかしいと思わないか?
他にも何人か途方に暮れる旅行者がいたが、私がバス停をちょっと離れると、たまたま目の前でタクシーを降りる人がいた。タクシーは3列シートで大きめなのだが、どうやら普通のメーター制のようだ。「いいですか?」と声をかけて乗り込んだところに、後から知らないおじさんが「これは乗り合いタクシーですか?」と質問してきた。タクシーの運転手氏は「いや、違います」とは言ったものの、私はすかさず「いや、割り勘で行きますか? バス無いですよね」と言った所、交渉がまとまった。
見知らぬおじさんと無言のまま地中美術館方面へと向かう(私の社交スイッチが切れたのだ)。しかしながら、幸いなことにわずか400円強で、地中美術館のチケットセンターに到着することができた。ありがとう、おじさん!
さて、到着はしたものの、ここからがまた一苦労なのである。チケットはオンライン予約で事前に購入するしかないため、すでに購入し決済も済ませてある。その予約時間までまだ30分程度あるのだ。事前の決済は何事があっても返金しないという高飛車な仕組みだし、到着時間が読めないため、どうしても早め早めに移動せざるを得ない。全く客の事を考えているのかよ、という感じである。
やっとチェックインの時間になり、スマホのチケットを認証してもらい地中美術館へと向かう。またその美術館の方向が分かりにくい。美観を優先しているのかどうか知らないが、まずどっちの方向に歩けばいいのか分からないのである。幸いなことに韓国人の有能な添乗員らしき人がいたので、その人について行って入場することができた。
途中にはモネの睡蓮の雰囲気を出したところがあるのだが、まあ、かなりの雨だからね。
そして門から入場。この先は一切の撮影が禁止とのこと。気持ちも分からなくはないが、どこかに記念撮影スポットくらい設けてほしいよな、今どき。
館内に入ると、今度は展示室が滅茶苦茶分かりにくいのだ。「順路なんかに拘らず見て下さい」という表れなのかもしれないが、どこに展示室があるのかがまず分からないのだから、そういうレベルの話ではなかろう。また、時間に余裕があれば散策も楽しめるのかもしれないが、豊島・直島を一日で回ろうとすると、かなり窮屈な日程になるのだ。そんな貧乏人は相手にしていないということですかね?
展示室にはスリッパを脱いで入る部屋があるのだが、またそのスリッパの置き場所が分かりにくい。履き替えるためのちょっとしたベンチのようなものの下に、しまって(隠して)あるのだ。他に人がいればわかったのかもしれないが、たまたまいなかったので、スリッパには全く気がつかずに入室してしまい、監視員に注意されてしまった。全く不愉快だよ。
と、ここまで私には珍しい程のクレームオンパレードだが、じゃあ作品も最悪だったのかというとそうではない。正直なところ、この怒りを上回るほど素晴らしい作品がいくつかあった。まあ、モネの「睡蓮」シリーズ5作は、それほど驚きはない。自然光で見られるのが特徴と言ったところだろうか。
ウォルター・デ・マリア「タイム/タイムレス/ノータイム」:階段のある神殿のような部屋に大きな花崗岩の球と、金箔をはった3本組の木材が何本も置かれている。3本組の木柱は、3・4・5角柱を並べて配列したもので、神殿のイメージを強化している。過去の遺跡を見るような、また遠い未来に現代文明の証を見るような、いや、はたまた異星文明の遺跡を発掘してしまったかのような気持ちにさえなる、傑作だと思う。
ジェームズ・タレル「アフラム、ペール・ブルー」:壁の一角に青い光を照らしただけだが、その色が素晴らしく、異世界への窓の印象。
ジェームズ・タレル「オープン・フィールド」:階段を上り部屋に入ると、奥の壁が薄紫に光っている。そこが壁なのか、いや、そこから先は空間が広がっているのか。タレル得意の視覚効果を使った作品。振り返って目に入る、黄色の壁と青色のネオン管も効果的。
ジェームズ・タレル「オープン・スカイ」:室内に入ると空には大きな穴が開いており、空のような光が見える。しかし、天井の厚さが全く感じられないため、単なる天井のライトなのかもしれない。しかし、今日は雨とあって、水滴がそこから落ちてくるのだ。
まあ、この文章で素晴らしさが伝わるとは思わないが、悔しいながらも良い作品がある美術館である(良い美術館とは言わない)。
さて、次は「李禹煥美術館」へ。ここは無料のシャトルバスで移動。
「点より1976」:筆で描く作品で、波のようにリズミカルに描かれている。
「沈黙の間」:部屋の奥に鉄の大きな板があり、達磨大師を思わせる岩がそれに向かって座禅を組んでいるかのような作品。
「影の間」:石の影の部分に映像が写り、まるで石の心の中を映し出しているかのような作品。映像には川の流れ、人の流れ、空、木、海、月などが写し出され、何万年もの間に石が見たものがリプレイされるかのようである。
「李禹煥美術館」も正直なところ、見どころがあったと思う。最後もシャトルバスで移動し「ベネッセハウスミュージアム」へ。
ここもバスを降りて、第一歩目をどっちに踏み出していいのか迷うんだよなあ…。
→やっと入口にたどり着いた。
須田悦弘「雑草」:本当に小さな雑草(木彫)が壁に生えていた。これ、好きなんだよなあ。
柳幸典「バンザイ・コーナー」:壁の隅に向かって90度の範囲にウルトラマンとウルトラセブンのソフビ人形が沢山建てられている。鏡に写って360度、万歳をするウルトラ兄弟だ。
柳幸典「ザ・ワールド・フラッグ・アント・ファーム」:色のついた砂で世界各国の国旗を作り、蟻を住ませて空洞を作る作品。
ジェニファー・バートレット「黄色と黒のボート」:波打ち際の風景が微妙にずれた3枚の画で表現されている。手前に画の中にもある黄色と黒のボートの立体模型が置かれた作品。
大竹伸朗「Book#1/記憶層」:巨大な本にコラージュした作品。開かれたページには「具志堅用高VS金莫童」のポスター図面があった。
ディヴィッド・ホックニー「ホテル・アカトラン中庭の回遊」:強い赤で描かれた回廊が印象的。パノラマカメラのように広く歪んだ画面である。
ブルース・ナウマン「100生きて死ね」:「SING AND LIVE」「SING AND DIE」のように、「LIVE」と「DIE」と組み合わせた言葉がネオンサインとして点滅する作品。
これ以外に、あまり現代美術に明るくない私でも知っているような、安田侃。バスキア、イヴ・クライン、ウォーホル、クリスト&ジャンヌ・クロード、ジャコメッティ、ラウシェンバーグ、サム・フランシス、ウェッセルマンなどの作品があった。
3館見て、全体的な印象は「ベネッセグループがいい環境で素晴らしい作品をご覧に入れます」という上から目線かな。
さて、宮浦港に戻るか。シャトルバスに乗って移動し、村営バスを雨の中待つ。
小さな船着場には、草間彌生作品があった。
他にも何人か途方に暮れる旅行者がいたが、私がバス停をちょっと離れると、たまたま目の前でタクシーを降りる人がいた。タクシーは3列シートで大きめなのだが、どうやら普通のメーター制のようだ。「いいですか?」と声をかけて乗り込んだところに、後から知らないおじさんが「これは乗り合いタクシーですか?」と質問してきた。タクシーの運転手氏は「いや、違います」とは言ったものの、私はすかさず「いや、割り勘で行きますか? バス無いですよね」と言った所、交渉がまとまった。
見知らぬおじさんと無言のまま地中美術館方面へと向かう(私の社交スイッチが切れたのだ)。しかしながら、幸いなことにわずか400円強で、地中美術館のチケットセンターに到着することができた。ありがとう、おじさん!
さて、到着はしたものの、ここからがまた一苦労なのである。チケットはオンライン予約で事前に購入するしかないため、すでに購入し決済も済ませてある。その予約時間までまだ30分程度あるのだ。事前の決済は何事があっても返金しないという高飛車な仕組みだし、到着時間が読めないため、どうしても早め早めに移動せざるを得ない。全く客の事を考えているのかよ、という感じである。
やっとチェックインの時間になり、スマホのチケットを認証してもらい地中美術館へと向かう。またその美術館の方向が分かりにくい。美観を優先しているのかどうか知らないが、まずどっちの方向に歩けばいいのか分からないのである。幸いなことに韓国人の有能な添乗員らしき人がいたので、その人について行って入場することができた。
途中にはモネの睡蓮の雰囲気を出したところがあるのだが、まあ、かなりの雨だからね。
そして門から入場。この先は一切の撮影が禁止とのこと。気持ちも分からなくはないが、どこかに記念撮影スポットくらい設けてほしいよな、今どき。
館内に入ると、今度は展示室が滅茶苦茶分かりにくいのだ。「順路なんかに拘らず見て下さい」という表れなのかもしれないが、どこに展示室があるのかがまず分からないのだから、そういうレベルの話ではなかろう。また、時間に余裕があれば散策も楽しめるのかもしれないが、豊島・直島を一日で回ろうとすると、かなり窮屈な日程になるのだ。そんな貧乏人は相手にしていないということですかね?
展示室にはスリッパを脱いで入る部屋があるのだが、またそのスリッパの置き場所が分かりにくい。履き替えるためのちょっとしたベンチのようなものの下に、しまって(隠して)あるのだ。他に人がいればわかったのかもしれないが、たまたまいなかったので、スリッパには全く気がつかずに入室してしまい、監視員に注意されてしまった。全く不愉快だよ。
と、ここまで私には珍しい程のクレームオンパレードだが、じゃあ作品も最悪だったのかというとそうではない。正直なところ、この怒りを上回るほど素晴らしい作品がいくつかあった。まあ、モネの「睡蓮」シリーズ5作は、それほど驚きはない。自然光で見られるのが特徴と言ったところだろうか。
ウォルター・デ・マリア「タイム/タイムレス/ノータイム」:階段のある神殿のような部屋に大きな花崗岩の球と、金箔をはった3本組の木材が何本も置かれている。3本組の木柱は、3・4・5角柱を並べて配列したもので、神殿のイメージを強化している。過去の遺跡を見るような、また遠い未来に現代文明の証を見るような、いや、はたまた異星文明の遺跡を発掘してしまったかのような気持ちにさえなる、傑作だと思う。
ジェームズ・タレル「アフラム、ペール・ブルー」:壁の一角に青い光を照らしただけだが、その色が素晴らしく、異世界への窓の印象。
ジェームズ・タレル「オープン・フィールド」:階段を上り部屋に入ると、奥の壁が薄紫に光っている。そこが壁なのか、いや、そこから先は空間が広がっているのか。タレル得意の視覚効果を使った作品。振り返って目に入る、黄色の壁と青色のネオン管も効果的。
ジェームズ・タレル「オープン・スカイ」:室内に入ると空には大きな穴が開いており、空のような光が見える。しかし、天井の厚さが全く感じられないため、単なる天井のライトなのかもしれない。しかし、今日は雨とあって、水滴がそこから落ちてくるのだ。
まあ、この文章で素晴らしさが伝わるとは思わないが、悔しいながらも良い作品がある美術館である(良い美術館とは言わない)。
さて、次は「李禹煥美術館」へ。ここは無料のシャトルバスで移動。
「点より1976」:筆で描く作品で、波のようにリズミカルに描かれている。
「沈黙の間」:部屋の奥に鉄の大きな板があり、達磨大師を思わせる岩がそれに向かって座禅を組んでいるかのような作品。
「影の間」:石の影の部分に映像が写り、まるで石の心の中を映し出しているかのような作品。映像には川の流れ、人の流れ、空、木、海、月などが写し出され、何万年もの間に石が見たものがリプレイされるかのようである。
「李禹煥美術館」も正直なところ、見どころがあったと思う。最後もシャトルバスで移動し「ベネッセハウスミュージアム」へ。
ここもバスを降りて、第一歩目をどっちに踏み出していいのか迷うんだよなあ…。
→やっと入口にたどり着いた。
須田悦弘「雑草」:本当に小さな雑草(木彫)が壁に生えていた。これ、好きなんだよなあ。
柳幸典「バンザイ・コーナー」:壁の隅に向かって90度の範囲にウルトラマンとウルトラセブンのソフビ人形が沢山建てられている。鏡に写って360度、万歳をするウルトラ兄弟だ。
柳幸典「ザ・ワールド・フラッグ・アント・ファーム」:色のついた砂で世界各国の国旗を作り、蟻を住ませて空洞を作る作品。
ジェニファー・バートレット「黄色と黒のボート」:波打ち際の風景が微妙にずれた3枚の画で表現されている。手前に画の中にもある黄色と黒のボートの立体模型が置かれた作品。
大竹伸朗「Book#1/記憶層」:巨大な本にコラージュした作品。開かれたページには「具志堅用高VS金莫童」のポスター図面があった。
ディヴィッド・ホックニー「ホテル・アカトラン中庭の回遊」:強い赤で描かれた回廊が印象的。パノラマカメラのように広く歪んだ画面である。
ブルース・ナウマン「100生きて死ね」:「SING AND LIVE」「SING AND DIE」のように、「LIVE」と「DIE」と組み合わせた言葉がネオンサインとして点滅する作品。
これ以外に、あまり現代美術に明るくない私でも知っているような、安田侃。バスキア、イヴ・クライン、ウォーホル、クリスト&ジャンヌ・クロード、ジャコメッティ、ラウシェンバーグ、サム・フランシス、ウェッセルマンなどの作品があった。
3館見て、全体的な印象は「ベネッセグループがいい環境で素晴らしい作品をご覧に入れます」という上から目線かな。
さて、宮浦港に戻るか。シャトルバスに乗って移動し、村営バスを雨の中待つ。
小さな船着場には、草間彌生作品があった。